岡山県総社市にある標高397mの鬼城山(きのじょうざん)にある古代の山城が鬼ノ城(きのじょう)。山に石垣を組んで、大陸からの侵攻に備えた九州や瀬戸内海に築かれた古代山城(神籠石式山城)のひとつ。とくに鬼ノ城は往時の雰囲気を今に伝える貴重な遺跡で、「鬼城山」として国の史跡に、鬼ノ城として日本100名城に選定されています。
唐・新羅連合軍の来襲に備え大和朝廷が築いた山城
鬼城山の山頂(標高397m)を取り囲むように山の7合目〜8合目には、高さ5〜6m、幅7〜8mの土塁が延長2.8kmも続き、台地上の山上に築かれた城の総面積は約30haと推定されています。
築城時期などは不明ですが、一説には白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)の後、国内防衛のために築かれたとも。
城の構造なども後世のものとは異なり、多くの謎が残されています。
城壁は土塁を主体に築かれ、東西南北に城門4ヶ所、正門近くに角楼1ヶ所、水門6ヶ所が確認されています。
さらに城内では高床倉庫などの建物跡、溜井、急を知らせる狼煙(のろし)をあげた烽火場、12基の鍛冶炉などが発掘されています。
西門と角楼や土塁が復元され、「鬼城山ビジターセンター」と駐車場を起点に見学路が整備されています。
水門、展望所なども整備されて、往時の雰囲気が充分伝わってきます。
鬼ノ城の山麓は、古代吉備の中心部。
鬼ノ城も吉備津彦命(きびつひこのみこと)による温羅(うら)退治の、伝承地で、鬼ノ城には「温羅旧跡碑」も立っています。
また鬼ノ城背後にある新山、岩屋の集落一帯は、山岳仏教の聖地でもあり、平安時代には岩屋寺など三十八坊が建ち並んで隆盛を誇ったとされています。
また、鯉岩、八畳岩、屏風岩などの巨石めぐりのハイキングも楽しめます。
鬼ノ城は史書に記載がありませんが、発掘調査などから7世紀後半の築城と判明し、ちょうど築城の時期が一致します。
難波津(大阪港)と那大津(太宰府・博多)の中間に位置する吉備津を守る、瀬戸内海防備の重要な拠点だったと推測できます。
大宰府周辺には水城(みずき)、大野城(おおのじょう/おおののき)が築かれ、鬼ノ城も同時期に築城されたわけです。
中大兄皇子(天智天皇)は、667(天智天皇6)年、飛鳥から近江大津京に遷都していますが、背景には白村江の戦いの敗戦を契機とした国家的な危機があったと推測できます。
都を内陸に移し、さらに北九州と瀬戸内海の要所に築城。
そんな古代史の背景をチェックしてから登城しましょう。
鬼ノ城 | |
名称 | 鬼ノ城/きのじょう |
所在地 | 岡山県総社市奥坂 |
関連HP | 総社市公式ホームページ |
電車・バスで | JR総社駅からタクシーで20分 |
ドライブで | 岡山自動車道岡山総社ICから約9km |
駐車場 | 30台/無料 |
問い合わせ | 総社市商工観光課 TEL:0866-92-8277/FAX:0866-93-8457 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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