足守陣屋跡

足守陣屋跡

岡山県岡山市北区足守にある藩政時代の足守藩の陣屋が置かれた跡が足守陣屋跡。足守藩は元和元年(1615年)、木下利房(きのしたとしふさ)が大坂冬の陣での戦功で足守藩が設立。足守陣屋跡は、「足守藩主木下家屋形構跡」として岡山市の史跡になっています。

足守藩の藩庁があった地

足守藩は、姫路城主だった木下家定(きのしたいえさだ)が、慶長6年(1601年)が立藩していますが、その後、改易となり、元和元年(1615年)、木下利房(きのしたとしふさ)が再度、足守藩に戻り、以降、明治維新まで12代にわたって木下家の統治が続きました。

木下家定は、豊臣秀吉の正室となった北政所(ねね、おね)の姉。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍・西軍のいずれにも与せず、結果として足守藩主として木下家は存続しています。

堀を巡らした陣屋が構築されたのは、第4代藩主・木下利貞(きのしたとしさだ)の時代頃。
明治維新後は学校などに転用されていますが、平成7年に公園化され、現在は遺構として堀と石垣が残されています。
北側には大名庭園の近水園(おみずえん)があります。

大坂に適塾(大阪大学の前身)を開いた江戸時代後期の蘭学者・医師の緒方洪庵(おがたこうあん)は、足守藩の出身。
足守藩主・佐伯惟因(瀬左衛門)の三男で、足守藩大坂蔵屋敷の留守居役となった父に連れられて大坂に出、虚弱体質のため医術の道に進んだのです。

足守陣屋跡
名称 足守陣屋跡/あしもりじんじゃあと
所在地 岡山県岡山市北区足守715
電車・バスで JR吉備線足守駅からタクシーで5分。足守駅にはタクシーが常駐していないので事前予約が必要
ドライブで 岡山自動車道岡山総社ICから約5.5km
駐車場 足守プラザ前駐車場、観光駐車場、藤田千年治邸駐車場を利用
問い合わせ 岡山市足守観光協会 TEL:086-295-1837
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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