中山道六十九次で「超難読の宿場」は、大湫宿

東海道五十三次に比べて難読の宿場名が多い中山道六十九次。木曽11宿(贄川宿~馬籠宿)を抜けると美濃16宿で、あまり知られていませんが石畳が残る峠越えの旧道も現存しています。その美濃路にあるのが、超難読の宿場、大湫宿(おおくてしゅく/岐阜県瑞浪市)。これはなかなか読めません!

峠と峠の間の平坦地に、大きな湿地があったのが由来

琵琶峠に現存する石畳

中山道、日本橋から数えて47番目の宿場が大湫宿。
山岳ルートの木曽路を抜け、妻籠(つまご)、馬籠(まごめ)という難読宿場を抜けて中津川宿に降り立つと、再び中山道は美濃路の山間ルートとなりますが、その山間にあった宿場のひとつが大湫宿です。

美濃路とはいうものの、当時は木曽の木材を管理する尾張藩領でした。
幕末に皇女和ノ宮が14代将軍・徳川家茂へ嫁ぐため、江戸に向かう途中、大湫宿の本陣で1泊しています(本陣は廃校になった大湫小学校の校庭部分)。

大久手、長久手など、久手の付く地名は多く、中山道でもとなりの宿場が細久手宿。
実はこの湫(久手)は湿地の意で、大きな湿地は大湫・大久手というわけで、その湿地帯の形状が地名になったもの。

小高い山をいくつも越えていく美濃路をよく現した地名で、東の十三峠、西の琵琶峠に挟まれた低い場所で水が溜まりやすいところを指してこの名になったもの。

天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』では、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠は30軒を数え美濃十六宿で最も多く、宿内家数は66軒、人口は338人なので、旅人で賑わう宿場だったことがよくわかります。

今も中央本線や幹線国道から離れた山中にあり、往時の雰囲気を味わうことができます。
石畳の残る琵琶峠は美濃国で最も高い峠なので、機会があればぜひ散策を。

ちなみに、岐阜県(美濃)から愛知県(尾張)にかけて、大久手、細久手、長久手と久手と付く地名が数ありますが、いずれも湿地(山間の湿地)だったことが名の由来です。

中山道六十九次で「超難読の宿場」は、大湫宿
名称 大湫宿/おおくてじゅく
所在地 岐阜県瑞浪市大湫町
関連HP 瑞浪市観光協会公式ホームページ
ドライブで 中央自動車道瑞浪ICから約14.5km
駐車場 大湫宿西駐車場、または、大湫宿東駐車場を利用
問い合わせ 瑞浪市経済部商工課 TEL:0572-68-2111/FAX:0572-68-9862
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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