旧海軍司令部壕

旧海軍司令部壕

沖縄県豊見城市豊見城、海軍壕公園内にあるのが、旧海軍司令部壕(きゅうかいぐんしれいぶごう)。熾烈を極めた沖縄戦で、最終決戦を前に日本海軍の地下司令部が置かれた場所で、昭和19年8月10日に日本海軍設営隊(山根部隊)に着工した壕で、12月に完成。一部が公開され、見学が可能です。

日本海軍が沖縄戦での組織的戦闘の終焉を迎えた地下壕

日本海軍第226設営隊(山根部隊)は、満足な重機もないなかで、つるはしなどを用いた手作業で3000人が突貫工事を行ない、5ヶ月弱で完成させています。
海軍司令部壕は最高軍事機密だたったため、通常のように地域住民の動員(勤労奉仕、学徒動員)もなく、軍部だけで完成させています。

枝分かれした通路の先に部屋が置かれ、通路は全長450m。
アメリカ軍の艦砲射撃に耐えうるように重要な部屋はコンクリートや漆喰で補強されています。

現在は250mが公開され、105段の昇降廊(階段)、司令官室、幕僚室、作戦室、暗号室(2900通の電報を発信)、医療室(負傷兵用の2段ベッドを配置)、下士官室、兵員室、発電室などが見学可能。
実際には最終段階で、壕内に4000名もの兵が逃げ込み、坑道も事実上の兵員室となっていました。

司令官室には「大君の御はたのもとに死してこそ人と生まれし甲斐ぞありけり」の墨書が残され、天皇(大君)の名のもとに本土防衛の最後の砦として、命を賭して徹底抗戦した沖縄戦を意味合い(沖縄は本土防衛最後の砦として、日本の中で唯一住民を巻き込んだ地上戦を展開)を今に伝え、幕僚室には幕僚が手榴弾で自決した痕跡もあり、戦争の悲惨さ、非人間性を教えてくれます。

銃器や軍服など壕内より発掘された遺品や家族へ宛てた手紙など、旧日本海軍についての資料を展示する資料館も併設。

日本海軍の司令官だった太田実(おおたみのる)少将は、昭和20年6月13日(6月11日午前から海軍司令部壕にアメリカ軍が集中砲火)、海軍壕内で拳銃で自決、4000人の将兵も自決あるいは戦死しています。
沖縄戦の全戦没者数20万人という悲惨さを実感し、恒久平和を願うためにぜひとも立ち寄りたい施設のひとつ。
平和教育プログラムとして個人でも平和ガイドを申し込むことが可能で、所要は50分ほど。


旧海軍司令部壕周辺6.7haは海軍壕公園として整備され、展望台や遊具なども配されています。
琉球王国時代には烽火(のろし)を上げて進貢船や異国船の入港を首里城に伝えた火番原(ヒバンムイ=火番盛)があった場所で(火番原を模したヒバンムイ時計塔が設置されています)、眺望もいいことから最後の司令部が設置されました。

旧海軍司令部壕
旧海軍司令部壕
名称 旧海軍司令部壕/きゅうかいぐんしれいぶごう
所在地 沖縄県豊見城市豊見城236
関連HP 旧海軍司令部壕公式ホームページ
電車・バスで 那覇バスターミナルから沖縄バス、琉球バス、那覇交通バス、東陽バス糸満西原線、平和台安謝線で22分、豊見城城跡公園前下車、徒歩5分
ドライブで 那覇空港から約5.9km。または、那覇空港自動車道豊見城ICから約3.7km
駐車場 100台/無料
問い合わせ 旧海軍司令部壕事業所 TEL:098-850-4055/FAX:098-850-9342
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
海軍壕公園ビジターセンター・資料館

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沖縄県豊見城市、平成11年に海軍壕公園として整備された旧海軍司令部壕に併設された施設が、海軍壕公園ビジターセンター・資料館。センター内の資料館では、第2次世界大戦における沖縄戦の位置付けと、戦争の推移を時系列で解説しています。ビジターセンタ

 

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