坐摩神社

坐摩神社

大阪市中央区久太郎町にある古社が坐摩神社(いかすりじんじゃ)。一般には「ざまじんじゃ」と読まれてしまうため、地元では「ざまさん」の通称も。古代には淀川河口にあった古代の湊、渡辺津の守護神で、全国の渡辺さんのルーツともなる神社。住居守護の神、旅行安全の神、安産の神として尊崇されています。

社伝によれば神功皇后が坐摩神を祀ったことに始まる古社

坐摩神社
境内入口の三ツ鳥居

社伝によれば神功皇后(じんぐうこうごう)が新羅出兵から帰国した際に、淀川河口の地に坐摩神を祀ったことに始まる古社。
古代の社地は現在の中央区石町(こくまち)にあり、「神功皇后の鎮座石」が旧社地(現在の坐摩神社行宮)には残されています。

平安時代中期の武将で、光源氏のモデルとなった源融(みなもとのとおる)の子孫、源綱(みなもとのつな=頼光四天王のひとり)は、母方の故郷である渡辺津(摂津国西成郡渡辺)に住んで渡辺を名乗ります。
渡辺綱の子孫は渡辺党と呼ばれる武士団に発展し、瀬戸内の水軍を統括。
これが全国に散らばるすべての渡辺さんのルーツです。

旧社地は、熊野三山への参詣道沿いでもあり、「熊野九十九王子」(くまのくじゅうくおうじ=熊野古道沿いの主要な神社99社/王子=熊野権現の御子神)のうち、最初の「窪津王子」(くぼつおうじ)はこの坐摩神社旧社地(現在の坐摩神社行宮)だと推測されています。

世襲宮司も渡辺さんで、まさに渡辺姓のルーツの神社

坐摩神社
拝殿

天正11年(1583年)、羽柴秀吉の大坂城築城に際して現在地の船場に遷座しています。
初代・桂文治(かつらぶんじ)が初めてこの神社で常打寄席(常設の興行小屋)を開いたとされ、境内に「上方落語寄席発祥の地」の石碑が立っています。

現社地の町名が久太郎町4丁目渡辺なのは、渡辺津から神社と渡辺さんが移り住んだから。
世襲宮司ももちろん、渡辺さんで、大和国北東部を支配した国造である都下国造(つげのくにのみやつこ=都下国造闘鶏国造)の末裔と推測されています。

境内社の陶器神社、繊維神社は、周辺の陶器問屋、繊維問屋の守護神で、デパートの「そごう」(株式会社そごう)のルーツは、天保元年(1830年)、十合伊兵衛(そごういへえ)が坐摩神社の南隣に古手屋(古着屋)「大和屋」を開業したのが始まり。

坐摩神(いかすりのかみ)とは!?

祭神は5柱あり、その総称が「坐摩神」(いかすりのかみ)です。
平安時代の宮中(平安京大内裏)では、都下国造一族の7歳以上の女子から坐摩巫(いかすりのみかんなぎ)を選んで、神祇官西院に「坐摩神」祀っていたと『延喜式』に記されています。
生井神 (いくいのかみ)=井水の神(生命力のある井戸水の神)
福井神 (さくいのかみ)=井水の神(幸福と繁栄の井戸水の神)
綱長井神 (つながいのかみ)=井水の神(深く清らかな井戸水の神)
波比祇神 (はひきのかみ)=竃神(屋敷神・庭の神)
阿須波神 (はすはのかみ= 竃神(足の神・旅の神)

『摂津名所図会』に見る 坐摩神社

坐摩神社

江戸時代後期の『摂津名所図会』では、鳥居は三ツ鳥居ではありません。

坐摩神社
名称坐摩神社/いかすりじんじゃ
Ikasuri Jinja Shrine
所在地大阪府大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺3号
関連HP坐摩神社公式ホームページ
電車・バスで市営地下鉄本町駅から徒歩3分
ドライブで阪神高速道路1号環状線信濃橋出口からすぐ
駐車場5台/無料
問い合わせ坐摩神社 TEL:06-6251-4792/FAX:06-6251-4425
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
坐摩神社行宮

坐摩神社行宮

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