大阪府大阪市北区にある淀川と旧淀川(大川)を隔てる水門が毛馬水門(けますいもん)。現在の水門は昭和56年に設置されたものですが、その西側に明治40年に完成した旧毛馬水門(毛馬第一閘門)が現存し、国の重要文化財に指定されています。また一帯は淀川河川公園・毛馬地区(淀川の河川敷を活かした国営公園)として整備されています。
淀川の治水事業を今に伝える文化財
明治29年、淀川下流部の治水事業として、新淀川の開削など淀川の河川改修事業が計画され、流路を確保するための毛馬洗堰(けまあらいぜき/全長53.30m)と、船舶の通過のため水位と安定させる毛馬閘門(けまこうもん)が築かれました(毛馬洗堰、毛馬閘門ともに国の重要文化財)。
その後、旧淀川(大川)と新淀川との水位差が広がったため、大正9年に第二閘門が完成しています。
昭和49年に現在の閘門が完成し、第二閘門は船溜まりとして再生、第一閘門は、淀川河川公園の公園施設として保存されています。
もともとは、開港時代の大阪港が河川港で、河口に堆積した土砂により、大型船の出入りができないという弱点を抱えていました。
淀川の河川改修、大阪港の築港に携わったオランダ人技師ヨハニス・デ・レーケ(Johannis de Rijke)は、淀川が大阪市街に入る前に水を制御するプランを構想していました。
つまりは、増水して大量の土砂を含む水を、市街地を通過させて大阪港へ入れず、放水路(新淀川)を設けて海に流すというもの。
琵琶湖から大阪湾までの淀川流域全体を視野に入れ、大阪港を築くという壮大なプロジェクトだったのです。
この構想を具現化したのが、明治9年にフランスに派遣され、エコール・サントラル・パリ(École centrale des arts et manufactures)に学んだ内務省土木局の技師(大阪土木監督所長)・沖野忠雄(おきのただお)。
洗堰は全長53.30m(閘門全長105.80m)、閘室幅11.35m、閘門の両岸は高さ8mのレンガ造りになっています(端部や要所は花崗岩が貼られています)。
水通し10門のうち、3門が残存。
引き上げ式の鉄製扉は昭和3年の改修で新設されたもの。
土木学会の土木遺産にも認定されています。
第一閘門近くにある「毛馬の残念石」は、江戸時代初期に大坂城を再建する際、伏見城から舟運を利用して運んだ石で、運搬船から落下したもの。
淀川改修工事の際に引き上げられて、「毛馬の残念石」として保存されています。
現在、国の重要文化財に指定される閘門は、富山県富山市の富岩運河の中島閘門を筆頭に、木曽川と長良川の水位差を克服する船頭平閘門(せんどうひらこうもん/愛知県愛西市)、利根川と横利根川の合流部に造られた横利根閘門(茨城県稲敷市・千葉県香取市)、北上運河の起点の石井閘門(宮城県石巻市)、旧毛馬水門(毛馬第一閘門)の5ヶ所です。
旧毛馬水門(毛馬第一閘門) | |
名称 | 旧毛馬水門(毛馬第一閘門)/きゅうけますいもん(けまだいいちこうもん) |
所在地 | 大阪府大阪市北区長柄東3 |
関連HP | 大阪市公式ホームページ |
電車・バスで | 大阪メトロ谷町線・堺筋線天神橋筋六丁目駅から徒歩20分 |
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