千利休屋敷跡

千利休屋敷跡

大阪府堺市堺区にある史跡が千利休屋敷跡(せんのりきゅうやしきあと)。わび茶(草庵の茶)の完成者、千利休は大永2年(1522年)、和泉国・堺の商家「魚屋」(ととや)で生誕。本名は田中與四郎で、17歳から北向道陳(きたむきどうちん )に茶湯を学び、その後、武野紹鴎(たけのじょうおう)に師事し、茶道を大成させています。

千利休の屋敷と伝承される地には井戸も現存

千利休屋敷跡には椿の井戸が残っていますが、椿の炭を底に沈めて使っていたとされています。
井戸の屋形は千利休が帰依した大徳寺山門の古い部材を用いて建てたもの(大徳寺黄梅院の直中庭は、利休が作庭、大徳寺の聚光院が千利休墓所)。

堺の納屋衆(倉庫業を営む富商)、田中与兵衛の長男として生まれた千利休。
その屋敷跡はあくまで伝承地ですが、堺市の史跡に指定されています。

天正15年(1587年)に、北野大茶湯を主管した千利休は、同年に完成した京の聚楽第(じゅらくてい)内に屋敷を構え、茶人として名声と権威を轟かせますが、天正19年(1591年)、突然、堺に蟄居を命じられ(原因は定かでありません)、天正19年2月28日(1591年4月21日)、聚楽第内の屋敷で切腹しています(切腹後、一条戻橋で梟首)。

千利休屋敷跡
名称 千利休屋敷跡/せんのりきゅうやしきあと
所在地 大阪府堺市堺区宿院町西1-17-1
関連HP 堺観光コンベンション協会公式ホームページ
電車・バスで 阪堺電気軌道宿院駅から徒歩3分
駐車場 なし/周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 堺観光コンベンション協会 TEL:072-233-5258
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
千利休聚楽屋敷跡

千利休聚楽屋敷跡

茶人、千利休(せんのりきゅう)が京の聚楽第(じゅらくだい)内に構えた屋敷の跡が千利休聚楽屋敷跡。豊臣秀吉が政庁兼邸宅として天正15年(1587年)に聚楽第を完成させると、千利休も屋敷を構えますが、その跡地(京都市上京区)には千利休居士聚楽屋

千利休居士遺蹟・不審菴

千利休居士遺蹟・不審菴

京都府京都市上京区にある表千家流家元の茶室が千利休居士遺蹟・不審菴(せんのりきゅうこじいせきふしんあん)。千利休は、豊臣秀吉の逆鱗に触れ、天正19年2月28日(1591年4月21日)に聚楽第(じゅらくだい)の聚楽屋敷で切腹させられていますが

三大茶人

三大茶人とは!?

「侘び寂び」の千利休、「へいげもの」の古田織部、「綺麗さび」の小堀遠州が俗にいう三大茶人。信長、秀吉、家康と関わりながら、三千家の祖となった千利休、茶道織部流の祖の古田織部、そのふたりを受け継いだ遠州流茶道の祖、小堀遠州と、今に伝わる茶道の

 

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