慈眼院

慈眼院

大阪府泉佐野市にある真言宗御室派の寺が、慈眼院(じげんいん)。天武天皇2年(673年)、天武天皇の勅願寺、さらに日根神社の神宮寺として覚豪阿闍梨(かくごうあじゃり)が開創した井堰山願成就寺無辺光院が前身。奈良時代には聖武天皇の勅願寺となり、空海が諸堂を整備したとも。美しい多宝塔は国宝です。

多宝塔は国宝、金堂は国の重要文化財

慈眼院
金堂は国の重要文化財

境内一帯は天福2年(1234年)に九条道家(くじょうみちいえ)が開発を開始し、九条家の家領荘園だった地で、「日根荘遺跡」(ひねのしょういせき/全14ヶ所)として国の史跡になっています。

南北朝時代の正平8年(1353年)、戦乱で堂宇を焼失していますが、皇室の尊崇があり、後村上天皇と後亀山天皇の勅命により再興。

その後、天正13年(1585年)、羽柴秀吉が紀州攻めを行なった際、戦火で金堂、多宝塔を除いた堂宇を焼失しています。
その後、江戸時代になって慶長7年(1602年)、豊臣秀頼が諸堂を再建。
明治維新の神仏分離で、日根神社と分かれています。

鎌倉時代後期築の本堂は国の重要文化財で、薬師如来と毘沙門天が祀られています。
文永8年(1271年)建立の多宝塔は国宝で、本尊は大日如来です。

多宝塔と金堂の拝観(外観のみの拝観で内部は非公開)はなるべくなら事前に予約をし、入山料を払って入る仕組みです。
整えられた苔を踏まないよう注意を。
多宝塔と金堂の御開帳は正月三が日のみです。
朝のお勤めは、自由に本堂内に入り、参詣できます。
また、本堂内では写経も可能。

慈眼院の名は九条政基の院号

慈眼院の名は、仁和寺の末寺となった際、江戸時代に付けられた寺号で、九条政基(くじょうまさもと)の院号(墓は東福寺山内九条家墓所)。
九条政基は、家領経営を巡る利害対立から勅勘(ちょっかん=天皇からの処分)を受けたことから日根荘に下向し、荘園の直接支配を行なっています(日根荘から守護勢力を排除しましたが、結果として日根荘は根来寺領に)。
その際に、慈眼院に滞在し、『慈眼院日記』(宮内庁蔵)を記述、貴重な史料に。

慈眼院
名称慈眼院/じげんいん
所在地大阪府泉佐野市日根野626
関連HP慈眼院
電車・バスで南海泉佐野駅から南海ウイングバス犬鳴山行きで17分、東上下車、徒歩1分
ドライブで阪和自動車道上之郷ICから約2km。阪神高速湾岸線泉佐野北ICから約7km、泉佐野南ICから約8km
駐車場あり/無料
問い合わせ慈眼院 TEL:072-467-0092
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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