確実に誤解を生む! まさかの天守閣(14)忍城|埼玉県

石田三成の水攻め、そして映画『のぼうの城』で知られる埼玉県行田市の忍城。天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐に伴う攻城戦での水攻めにも耐え抜いた難攻不落の城です。藩政時代には忍藩の藩庁として機能しています。現在の天守風の建物は、昭和63年、本丸跡に建てられた御三階櫓です。

続日本100名城に選定される難攻不落の城

忍城のジオラマ、本丸は空地で木が茂っています

石田三成の忍城水攻めは、埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)の丸墓山古墳に本陣を置き、総延長28kmにおよぶ石田堤を築いて水を入れましたが、先に小田原城が陥落したので、結果的に忍城は陥落することなく、終戦に。

江戸時代には松平忠吉(徳川家康の四男)が忍城に配置、さらに寛永16年(1639年)、老中・阿部忠秋の居城となって、城郭を整備しています。
親藩譜代の大名が城主となっていることからも、忍城の重要性がよくわかります。

現在のコンクリート製の御三階櫓の内部に、忍城のジオラマがあるので、それをじっくり見てみると、往時には本丸にはなにもなかったことがわかります。
実は本丸は空き地、二の丸に御殿や屋敷を配置するという特殊なかたちで、代用天守としての御三階櫓は現在の水城公園付近にあたる位置にそびえていました(明治初年に破却)。

実際に御三階櫓があったのは、少し離れた水城公園の場所

なぜか御三階櫓のなかった本丸跡に「復元」

実際に、本丸とはこんなに離れていました

行田市は「現在の忍城御三階櫓は、明治維新の際に取り壊されたものを再建したもので、最上階からは市内の景色が一望できます」としていますが、もともと藩政時代には空き地だった忍城本丸跡に復元しているのです。

形状的には「忍城鳥瞰図」や文献などを元にした外観復元。
内部は少し無骨なコンクリート造りで、同時に建設された行田市郷土博物館とは渡り廊下で連絡しています。
そのため、資料展示は博物館がメインで、展示はあるものの、単なるコンクリート造りの外観復元建築物になっているのです。

問題は、位置や規模は史実とは異なる点。
外観もサイズ的に大きくなり、明り取りとして窓も増えています。
本丸のほうが堀もあって見栄えがいい、空き地があるので適地という利点があったのだろうと推測できます。
まさに観光的な復興で、歴史的な検証は乏しかったのだと推測できます。

ただし、展望室にはテラスはなく、外に出ることはできないので、窓越しに周囲を眺めることに。

確実に誤解を生む! まさかの天守閣(14)忍城|埼玉県
名称 忍城/おしじょう
所在地 埼玉県行田市本丸
電車・バスで 秩父鉄道行田市駅から徒歩15分。または、JR吹上駅から朝日バス前谷経由行田車庫行きで忍城下車すぐ
ドライブで 東北自動車道羽生ICから約14.5km。または、加須ICから約17.5km
駐車場 第1駐車場(30台/無料)・第2駐車場(20台/無料)
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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