中津城本丸北側・黒田氏時代の石垣

中津城本丸北側・黒田氏時代の石垣

大分県中津市にある中津城は、天正16年(1588年)、築城の名手・黒田孝高(黒田如水、黒田官兵衛)によって築かれ、細川忠興が完成させた城。その本丸跡の北側、薬研堀には、黒田氏時代の石垣と、細川氏時代の石垣が見られる場所があります。ちょうどY字のような目地がその境目で、向かって右側が黒田氏時代、左側が細川氏時代のもの。

唐原山城の神籠石を転用した四角い石が特徴的

中津城本丸北側・黒田氏時代の石垣
左が細川氏時代、右が黒田氏時代の石垣

黒田氏時代、細川氏時代ともに花崗岩を使用していますが、黒田氏時代のものは未加工の自然石ではなく、それ以前の山城の石を再利用したため、断面をL字型に加工した直方体になっているものが多いのが特徴。
実はこれ、福岡県築上郡上毛(こうげ)町にある7世紀の古代城跡「唐原山城」(とうばるさんじょう=飛鳥時代、白村江の戦いの敗戦後に築城した朝鮮式山城)の神籠石(こうごいし)を転用したもの。
現在は「唐原山城跡」として、国の史跡に指定されている古代山城の神籠石列石を、黒田孝高(黒田如水)が舟運を利用して運び出しているのです。
黒田孝高の居城時代には、まだ戦国の世で、度重なる合戦のために築城もはかどらず、神籠石の転用を思いついたのだと推測できます。

また現在河川敷公園として整備されている高瀬川(現在の中津川)沿いの土手側(西側)には、この列石の特徴である、直方体の一辺が切りそろえられた溝の跡や鉄門跡を見ることもできます。

中津城本丸北側・黒田氏時代の石垣
四角い石が神籠石
中津城本丸北側・黒田氏時代の石垣
名称 中津城本丸北側・黒田氏時代の石垣/なかつじょうほんまるきたがわ・くろだしじだいのいしがき
所在地 大分県中津市二ノ丁1273
関連HP 中津城公式ホームページ
電車・バスで JR中津駅から徒歩15分
ドライブで 宇佐別府道路宇佐ICから約17.8km
駐車場 中津公園駐車場(50台/無料)
問い合わせ 中津城 TEL:0979-22-3651/FAX:0979-22-7853
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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