下総国分寺跡
千葉県市川市国分3丁目にある、天平13年(741年)、聖武天皇の「国分寺建立の詔」により、国家鎮護のために諸国に建立された国分寺(金光明四天王護国之寺)のひとつが、下総国分寺跡(しもうさこくぶんじあと)。寺域は東西300…
千葉県市川市国分3丁目にある、天平13年(741年)、聖武天皇の「国分寺建立の詔」により、国家鎮護のために諸国に建立された国分寺(金光明四天王護国之寺)のひとつが、下総国分寺跡(しもうさこくぶんじあと)。寺域は東西300…
日本初のカーフェリーは、昭和9年3月に就航した洞海湾を渡って若松市と戸畑市(現在の北九州市若松区と戸畑区)を結ぶ若戸渡船の「第八わかと丸」、「第九わかと丸」です。洞海湾にはトンネル建設構想が浮上するほど、貨物輸送の需要が…
東京都荒川区、JR・京成電鉄の日暮里駅東口ロータリーに立つのが、太田道灌騎馬像(おおたどうかんきばぞう)。関東は江戸城を築城した太田道灌ゆかりの地でもあり、各地に太田道灌の銅像がありますが、勇壮な騎馬像となっているのはこ…
千葉県千葉市美浜区の幕張新都心にある緑豊かな千葉県立公園。「緑と海と街が魅力的に融合するシティパーク」がテーマの広域公園で、AからGまで7つのブロックに分かれ、総面積は68.4ha。JR京葉線・海浜幕張駅から海岸まで、海…
五重塔、三重塔というのは聞き慣れた言葉ですが、二重塔とはいいません。二重になった塔は、多宝塔と称されているからです。全国各地の寺の境内にある多宝塔のなかで国宝になっているのは6塔で、五重塔(9基)、三重塔(13基)と比べ…
谷津干潟(やつひがた)は、東京湾の最奥、千葉県習志野市に残された約40haの干潟。、東京湾の海岸線から2kmほど内陸にある40haの泥質干潟で、東西の2本の水路で東京湾とつながっています。四方はコンクリート壁で囲われ、干…
東京都荒川区にあるJR山手線・京浜東北線・常磐線、京成本線、そして日暮里・舎人ライナーの日暮里駅(にっぽりえき)。お隣の西日暮里とともに、不思議な名前の駅名ですが、実は武蔵国豊島郡日暮里村という村の名前に由来する地名。「…
千葉県浦安市にある体験型のミュージアムが、浦安市郷土博物館。かつては、漁業の町だった浦安の歴史、民俗を紹介する郷土博物館で、浦安の海の生物を水槽に展示し、ジオラマや映像を交えて解説。野外展示館「浦安のまち」は昭和初期から…
新橋〜横浜に日本で最初の鉄道が開通するのは、明治5年9月12日(1872年10月14日)。当時は主要な港を目指して、あるいは港を起点に鉄道の敷設が始まっています。現存する日本最古の駅舎は、明治15年に開業した滋賀県の長浜…
十勝平野には直線道路が数ありますが、彼方の日高山脈を目指しての直線道路が、音更町(おとふけちょう)にある音更メロディーライン。地元で「一直線の道」と呼ばれているように音更川を越えたあたりから音更市街を抜けての直線道路は…
和歌山県伊都郡高野町、高野山金剛峯寺の塔頭(たっちゅう=支院)のなかで唯一、世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産になっているのが、金剛三昧院(こんごうざんまいいん)。北条政子の発願で、源頼朝菩提のために禅定院…
千葉県市川市国府台、下総台地の西端、江戸川に面した台地上に広がる公園が、里見公園。里見公園と呼ばれるのは、中世に里見氏と北条氏の激戦の国府台城跡(こうのだいじょうせき)だから。曲亭馬琴の長編小説『南総里見八犬伝』のクライ…
羽田エアポートラインをご存知でしょうか? 2025年10月3日(金)に国土交通省が認可した通称「蒲蒲線」のこと。東急多摩川線矢口渡駅〜蒲田駅間から、京急本線・空港線の京急蒲田駅付近までを結ぶ連絡線で、東急多摩川線と直通運…
千葉県習志野市、東京湾奥に残された貴重な谷津干潟(ラムサール条約登録湿地)にある自然観察の拠点が、谷津干潟自然観察センター。干潟南側に建ち、1階と地下1階の観察コーナーからは干潟を一望に。谷津干潟一帯は自然生態観察公園と…
和歌山県有田郡有田川町にある鷲ヶ峰は、標高586.0m。その山頂に広がる鷲ヶ峰コスモスパークは、眼下に有田川や紀伊水道、そして晴れた日には淡路島や四国、紀伊水道までを見渡す360度の展望が自慢です。公園の名のとおり、秋に…
鳥取県西伯郡大山町にあるJR西日本・山陰本線の駅が、御来屋駅(みくりやえき)。明治35年に山陰鉄道西線・御来屋駅(みくりや)〜境駅(現在の境港駅)間の開通で開業した駅。現存する駅舎は開業当時のもので、山陰最古の駅舎となっ…
東京都東村山市、西武新宿線・西武園線・国分寺線の東村山駅東口に立つのが、志村けんの像。定番ギャグ「アイーン」ポーズ姿の銅像は、2021年6月26日に除幕。「志村けんさんの銅像が未来を明るく照らす」というプロジェクトで設置…
大河ドラマなどで好評を博す徳川家康ですが、家康が幼少時代に、今川家の人質になっていたことは知られています。ところが案外、織田家の人質として、幼年時代を名古屋で暮らしたことは知られていません。織田家の人質だった竹千代(家康…