日本のポンペイというと、これまでは群馬県吾妻郡嬬恋村の鎌原観音堂(かんばらかんのんどう)が有名でしたが、近年、世界的にも注目されるのが榛名山噴火関連遺跡の25ヶ所。古墳時代に榛名山の噴火による火砕流と軽石に埋もれた遺跡で、その代表的な4ヶ所と鎌原観音堂の5遺跡を紹介しましょう。
まずは、本物のポンペイをチェック!
西暦79年、イタリアのナポリ近郊のヴェスヴィオ山で大規模な噴火が発生、人口1万人ほどのローマ帝国の都市ポンペイが火山噴出物に飲み込まれました。
中央広場(フォルム)、劇場、円形闘技場、浴場、運動場といった石造建築の公共施設が、火砕流に焼き尽くされ、火山灰に埋まったことで、そのままの状態で18世紀に発見されるまで残されていました。
「ファウヌスの家」、「竪琴奏者の家」、「悲劇詩人の家」など、ポンペイ繁栄の歴史を示す邸宅も発掘。
食生活では、ポンペイの街中にはパン屋や、テイクアウトもできる料理屋がありましたが、それぞれが時間が止まったかのように現代に蘇り、古代都市の生活が手にとるようにわかったのです。
日本のポンペイ 5遺跡(すべて群馬県)
鎌原観音堂|嬬恋村
所在地:群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原492
火山:浅間山
災害発生年:天明3年7月7日(1783年8月4日)
浅間山の火口の北側12〜13kmに位置する鎌原村は土石なだれで、118戸が全壊。
570人ほどの村民のうち、477名もの人命を失っています。
浅間山からの土石なだれに気づき、鎌原観音堂にたどり着いた93名のみが奇跡的に助かったことから、「日本のポンペイ」と呼ばれるようになりました。
しかし、古代の遺跡ではなく、近世の火山災害の遺構です。
金井東裏遺跡(榛名山噴火関連遺跡)|渋川市
所在地:群馬県渋川市金井1837
火山:榛名山(榛名山二ツ岳)
災害発生年:6世紀初頭
平成24年から行なわれた調査で榛名山の爆発による火砕流に埋没した「甲を着た古墳人」(よろいをきたこふんじん)が発掘され、注目を浴びるように。
小札甲(こざねよろい)を着た渡来系の40歳代の男性の人骨(「甲を着た古墳人」)や、鉄製矛、鉄鏃など豊富な鉄製品が出土。
金井下新田遺跡(榛名山噴火関連遺跡)|渋川市
所在地:群馬県渋川市金井1644
火山:榛名山(榛名山二ツ岳)
災害発生年:6世紀初頭
「首飾りをした古墳人」が集落域(竪穴建物)で発見され、話題に(墓域以外で首飾りをした状態で人骨が見つかるのは極めて稀)。
黒井峯遺跡(榛名山噴火関連遺跡)|渋川市
所在地:群馬県渋川市北牧3-42
火山:榛名山(榛名山二ツ岳)
災害発生年:6世紀初頭
軽石に埋まった大規模な集落跡から、建物の壁、崩れかけた屋根、柴垣、綱代垣が発見され、火山災害直前の古墳時代集落の姿が明らかになっています。
中筋遺跡(榛名山噴火関連遺跡)|渋川市
所在地:群馬県渋川市行幸田796
火山:榛名山(榛名山二ツ岳)
災害発生年:6世紀初頭
噴火の火砕流と火山灰で埋まった遺跡で、史跡公園として公開。
竪穴式住居3軒と平地式建物、祭祀跡、垣根などが復元されています。
日本のポンペイ 5遺跡 | |
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