サイトアイコン ニッポン旅マガジン

石井さんのルーツを探せ!

石井さんは大姓30位(国民の0.32%)で、およそ40万人のお仲間が暮らしています。石の多い土地という意味の地形姓で、必ずしも「石の井戸」ではなく、むしろ「井」は、添字的な存在ともいえるのです。そんな石井さんは、全国の石井郷から生まれていますが、南房総(千葉県南部)に多い傾向が。

まずは千葉と茨城の石井さんのルーツへ!

石井営所跡

石井さんのルーツ探しの旅は、まずは関東から。

藤原兼通(ふじわらのかねみち=平安時代中期の公卿で関白太政大臣)を祖とする藤原忠通の孫・式部大輔忠衡(しきぶたいふただひら)は、建長2年(1250年)、下総権守(しもうさごんのかみ=下総国司の長官)として下総国猿島郡石井郷(茨城県坂東市岩井)に居を定め、藤原忠衡の子・下総守忠光がその地名から、石井氏を称しています。
これが藤原北家兼通流石井氏の誕生。

下総国は、現在の千葉県北部、茨城県南西部、埼玉県東辺、東京都東辺(隅田川東岸)。
この下総国猿島郡石井郷は平安時代、平将門が新皇を称して「石井の営所」(いわいのえいしょ)を構えた歴史的な土地としても知られています。
将門が関東一円を制覇するときに拠点とした地で、石井営所の周辺には、重臣たちの居館、郎党などの住居などが並んでいました。
天慶3年(940年)、平将門は藤原秀郷(ふじわらのひでさと)と平貞盛の連合軍との戦いに敗れ、営所の建物も焼き払われています。

 茨城県坂東市岩井の石井営所跡には重さ20トンの筑波石を自然のままに置き、「島広山・石井営所跡」と刻まれた石碑が明治時代につくられています。
関東に暮らす石井さんなら一度は訪れてみたい場所といえるでしょう。

南房総市にも石井さんのルーツが

石井姓は近くの、下総国海上郡石井(千葉県旭市岩井)や安房国平群郡石井郷(へぐりぐんいわいのごう=千葉県安房郡南房総市岩井地区)などから次々に誕生しています。

平群郡石井郷は、「石の多い川」を意味する地名、あるいは禊(みそぎ)などをする「厳粛なる川」の意味ではないかと推測されています。

その石井郷の総社は、岩井神社(千葉県南房総市高崎906)で、治安3年(1023年)の創建という古社。
往時は磐井郷牛頭天王八雲大社と称していたのだとか。

石橋山の戦いに敗れた源頼朝が真鶴岬(まなづるみさき)から房総に逃れたとき、この磐井郷牛頭天王八雲大社に祈願したとされ、後にこの地を治めた里見氏も尊崇しています。

千葉県出身と推測できる石井さんなら、この岩井神社は必踏のポイントです。

九州の石井さんなら佐賀市の常照院へ

やがて下総国の石井氏は、源頼朝のとき千葉氏に従って肥前国(現在の佐賀県)に移り、数々の戦いの後、肥前国佐賀郡与賀庄飯盛(佐賀県佐賀市本庄町鹿子)の飯盛城(佐嘉飯盛城)に入って居館を築いています。

肥前国では、千葉氏から竜造寺氏の時代に移ると、石井氏は鍋島氏とともに水ヶ江竜造寺氏の旗下に属し、肥前に侵入してきた大内軍と戦っています。
石井氏の軍勢は「石井一門」とか「石井党」と称された勇猛果敢な同族武士団だったのです。

その後、肥前では、鍋島氏が台頭し、石井一門は豊臣秀吉の朝鮮の役(朝鮮出兵)や「天下分け目」の関ヶ原の合戦では鍋島氏軍に属し活躍、佐賀藩内に勢力を伸ばして明治維新に至っています。

佐賀県佐賀市本庄町鹿子にある妙光山常照院は、飯盛城跡に建つ石井氏の菩提寺。
永享元年(1429年)9月、肥前国小城郡主千葉家の戚臣で、当地の領主・石井忠國(いしいただくに=肥前国に繁栄した石井一族の始祖で、千葉宗胤の玄孫とも)が開基したという古刹です。

石井家はその後、佐賀城下に移ったため、寺は一時衰退しますが藩政時代には鍋島家の祈願所となって復興しています。

常照院という寺号も、石井常延(いしいつねのぶ=佐賀藩祖・鍋島直茂の岳父で、初代藩主・鍋島勝茂の外祖父)の法名である「常照院殿常祝日教大神祇」に因んで鍋島家が改めたもの(創建当初は、本善寺)。
常照院境内には石井家歴代の墓所もあり、まさに石井さんのパワースポットに。

石井氏が居城とした飯盛城は、クリーク(運河)を水濠にした中世の館的な構造。
常照院の境内が、旧城の主郭(本丸)で、主郭の南に二郭(二の丸)、さらにその南に三郭(三の丸)が配置された縄張りと推測されています。

古代に遡って石井さんのルーツを探して徳島へ

また同じ関東から移ってきた石井氏に大隅国大隅郡垂水中俣・海潟(現在の鹿児島県垂水市)の領主で、島津氏重臣の石井氏(大隅石井氏)がいます。
この石井氏は相模国の豪族・三浦義明の子孫で、桓武平氏三浦氏流の石井氏。

鎌倉時代末期(1330年頃)、義継の子、石井重義が下大隅に下向。
垂水城を再興し、石井氏を名乗り垂水城を居城としていますが、これが大隅石井氏のルーツということに。

垂水市中俣の垂水市指定史跡・岩屋観音堂(鹿児島県垂水市中俣)は、石井氏7代までの菩提寺の跡。
9代の石井義辰(いしいよしとき)は垂水海潟井之上に松岳寺を開いていますが、天文年間末期(1555年頃)に石井義辰は殺害されて石井氏は滅亡。
海潟に残る桜島焼亡塔が松岳寺の名残りということに。

ほかにも、伊勢国鈴鹿郡石井を発祥とする桓武平氏関氏流、下野国河内郡石井を発祥とする藤原北家宇都宮氏流、伊豆国賀茂郡石井発祥の清和源氏義光流などの石井氏がいて、まさに全国の石井郷から石井さんが生まれていることがわかります。
また、公家(くげ)の石井氏は「いわい」と読み、「いしい」ではないので、あなたが石井(いわい)さんならルーツは公家かもしれません。

さて、石井という地名が岩井に変わった千葉の例を前に記しましたが(もっともその場合地名の石井は「いわい」と読んでいました)、古代の石井を今に伝える場所を四国に訪ねてみましょう。

JR徳島線石井駅から徒歩50分にある石井廃寺(徳島県名西郡石井町城ノ内)は、南に緩く傾斜する段丘面上にある国造に関係した古代寺院(阿波国分寺に先立つ白鳳時代建立と推測)。

東に塔、西に金堂が並ぶ法起寺式(ほうきじしき)の伽藍配置で、28個の礎石すべてが原位置を保っていた金堂跡、4個の四天柱礎石とその周囲に10個の礎石があることから三重の塔であったと推定される塔跡、それらを囲む推定される幅約3メートルの回廊跡などの遺構が現存しています。

瓦・土師器・須恵器など石井廃寺跡からの出土遺物の一部は、四国八十八ヵ所の別格二番札所童学寺(どうがくじ)に保管され、古代寺院の歴史を今に伝えています。

奈良時代初期のこの地の豪族によって建立された私寺の跡と考えられているので、石井さんのルーツなのかもしれません。

新潟の石井さんなら出雲崎の石井神社へ!

出雲崎の石井神社

神社も京都市北区小山元町の石井神社、柏崎市本条の石井神社、出雲崎町石井町の石井神社、新発田市の石井神社、笠間市の石井神社、東京は亀戸の石井神社など多数。
多くの石井神社では「いわい」神社と呼ぶのも歴史を感じさせます。

新潟県出雲崎町石井町の石井神社は出雲崎総鎮守で、『出雲崎大祭』も石井神社の神事がルーツ。
大国主命(おおくにぬしのみこと)が佐渡平定の際して石の井戸の水を汲んだという伝承も残されて、和銅4年に現在地に遷座しています。
ここも石井と書いて「いわい」。

「大国主の命が、この地に来られ佐渡ヶ島を平治しようとしたが、海を渡る船がない。そこで、石の井戸の水を汲んで撒くと一夜にして12株の大樹が茂った」(現地案内板)とのこと。
つまりは、石の井戸で石井ということに。

東京の石井さんなら亀戸石井神社へ

亀戸石井神社

東京にも石井さんのルーツとおぼしき場所があります。

それが東京都江東区亀戸4丁目にある亀戸石井神社で、弘仁2年(811年)、空海創建という伝承のある社(ただし空海が東国に来たという史実はありません)。
『新編武蔵風土記稿』には「亀戸村 石神社」と記されています。
もともと石器時代の石の棒を御神体としたことで、石神社と称したというから、まさしく石神様。

「おしゃもじ稲荷」と呼ばれ、咳に悩んだとき、ここからしゃもじを1本借り受けて自宅で拝み、咳が無事完治したら、新品のしゃもじを1本添え、計2本をここに返すしきたりです。
東京の石井さんで咳に悩む人はぜひ参拝を。

真言宗智山派の寺で、「江戸三大虚空蔵」の寳蓮寺(ほうれんじ=東京都江東区亀戸4-35-12)が神仏習合時代に神宮寺(神社を管理する寺)だった寺です。

石井姓は千葉県、とくに南房総に多い

大リーグ・ドジャースで活躍した石井一久投手は千葉県千葉市若葉区出身。
ミュージシャンの石井竜也(カールスモーキー石井)は、茨城県北茨城の生まれ。

お笑いコンビ「アリtoキリギリス」でボケを担っていた俳優の石井正則(いしいまさのり)は、神奈川県横浜市保土ケ谷区出身。

ラサール石井は、本名・石井朗夫で、大阪市住吉区の出身、
女優の石井杏奈(いしいあんな)は、東京都板橋区とさすがに出身地も散らばっています。

石井さんは千葉県でやはり群を抜いて多く、大姓の6位(およそ6万3000人)。
しかも南房総の鋸南町は、鈴木さん、川名さんに次いで3位を占める大姓に。
南房総市にある岩井海岸の岩井は、かつては石井という地名だったくらいなので、そこを発祥とする石井さんが住み着いているのかもしれません。

石井さんは千葉県以外では、茨城県、東京都、神奈川県、埼玉県など関東に多く、西日本で目立つのは岡山県(15位)ぐらいとなっています。

石井さんの「石」は古代から神聖視されたものでもあるので、尊い石を地名、そして名前にしたとも推測できます。

石井さんの代表家紋はやはり井戸にちなんだ井桁、藤原北家兼通流は丸に三つ鱗、他に三つ引両(ひきりょう)、井桁、橘、釘貫(くぎぬき)、五三の桐、木瓜(もっこう)、桔梗など。

取材・編集協力/札場靖人(家紋と姓名研究家)
人口に関するデータは明治安田生命全国同姓調査による(2018年7月)推計値です

石井さんのルーツを探せ!
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

あなたのルーツはどこの誰!? 大姓26位〜30位【橋本・石川・山下・小川・石井】

「神聖なる橋のたもと」の橋本さん、石の川の石川さん、山の麓の山下さん、小さな川の小川さん、そして石にまつわる石井さんと、大姓26位〜30位はすべて地形姓の名前なので、そのルーツも全国にあります。それでも石川さんは古代の大族、橋本さんは皇女・

山崎さんのルーツを探せ!

大姓21位の山崎さんは全国に49万人ほど(シェア0.39%)。ヤマサキと読んでもヤマザキと濁っても、山崎さんであるなら多分ルーツは同じ。東日本では「ヤマザキ」ですが、西日本では「ヤマサキ」と濁らないで呼ぶことが多いのが山崎さんの特徴で、山の

中島さんのルーツを探せ!

全国に48万人近くいると推測され(0.38%)、大姓22位となるのが中島さん。あなたが中島さんで、「なかしま」と濁らずに発音するのだったら、出身地は愛知県かあるいは九州、少なくとも西日本ということに。関西出身であれば、多分、中嶋と山偏の嶋を

森さんのルーツを探せ!

大姓23位の森さん。一文字の名前では、林さん(大姓19位)に次ぎ、国民の0.38%、全国に48万人近くの森さんが暮らしています。林さん同様に地形姓ですが、家の周りには林よりも森のほうが少ないのが19位と23位の違いかもしれません。&nbsp

阿部さんのルーツを探せ!

阿部、阿倍、安部、安倍などの阿部さん一族。全国に47万人ほど(シェア0.37%)の阿部さん一族が暮らしていますが、その筆頭は阿部さん、続いて安部さんで実は安倍さんはかなり少数派。そんな阿部さん一族のルーツは、飛鳥時代の古代豪族にまで遡ること

池田さんのルーツを探せ!

大姓25位の池田さんは、全国に46万人ほど暮らしていて、人口に占める割合は0.36%ほど。新幹線「のぞみ」で声をかければ、4人〜5人は「はい!」と返事する計算です。そんな池田さんは、文字通りの池に田んぼという地形姓(地名姓)。諸国の池田荘、

橋本さんのルーツを探せ!

橋本さんの由来は、「神聖なる橋のたもと」という意の地形姓で、橋本=橋元=橋下といずれも同じ意味の橋本さんのお仲間。全国に46万人ほど橋本さんはいて、人口に占める割合は0.36%ほど(25位の池田さんとほぼ同数)。川から離れた場所がルーツのは

石川さんのルーツを探せ!

県名となっている名前としては大姓14位の山口さんがいますが、名前が県名になっているのは石川県くらいです。そんな石川さんは大姓27位、全国に43万人の同姓さんが暮らしています(国民の0.34%)。「石の川」という地形姓ですが、実は石川さんは、

山下さんのルーツを探せ!

山下さんは、山本さんと同じで、山の麓、山の下を意味する地形姓。山本さんが大姓9位(国民の0.82%)に対し、山下さんは28位(0.33%)と少し劣勢ですが、それでも42万人近くのお仲間がいます。それでも山中さん(136位)、山上さん(716

小川さんのルーツを探せ!

小川さんは典型的な地名姓で、地名を負う小川姓もまた、古くからそこここにあったと推測できます。そんな全国に散らばるだろう小川さんは大姓29位(国民の0.33%)、全国に42万人のお仲間が暮らしています。「川仲間」でいえば石川さん(27位)と同

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

モバイルバージョンを終了