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斎藤さんのルーツを探せ!

斎藤さんは、大姓16位で全国に60万人(0.48%)ほどだと推測され、目下ほぼ同数の井上さんと微妙な順位争いに(調査によってはもう少し下位の場合も)。その斎藤さんは、なかなか名門で斎藤の藤は、佐藤さん、加藤さん、伊藤さんと同じ、藤原姓で、その重要なルーツが福井県敦賀市に。

伊勢神宮の役職「斎宮頭」+藤原=斎藤さんの誕生!

平安時代第一級の英雄で、「最初の武士」ともいわれるのが、鎮守府将軍・藤原利仁(ふじわらのとしひと)。
藤原利仁は、東国各地に群盗が横行していたことで、天皇の命を受けて下野国高蔵山で群盗数千を鎮圧(『鞍馬蓋寺縁起』)とありますが、この高蔵山がどこなのかは、定かでありません(那須山系にある高原山という説も)。

数々の伝説を持つ中世のヒーローで、『今昔物語集』巻26にも同僚の五位の侍が薯蕷粥(山芋の粥)を飽きるほど食べたいというので、敦賀の館に連れ帰った有名な『芋粥』の説話が記され、これは芥川龍之介の小説『芋粥』のモチーフにもなっています。

斎藤姓はその藤原利仁の子、斎宮頭叙用(さいぐうのかみのぶもち=藤原叙用)が斎藤と称したことから始っています。
斎藤は、伊勢神宮の役職「斎宮頭」(さいくうのかみ=斎宮の事務を司る最高責任者)+藤原氏の「藤」=斎藤で、ここに藤原北家利仁流の斎藤さんの誕生となったのです。

ここで問題が。
藤原叙用が斎宮頭だったのはいつというのが、判然としないのです。
「斎宮歴史博物館」によれば、武士である藤原叙用のような人物が斎宮頭に任命されるのは非常に例外的なので(珍しい武人系の斎宮頭=南勢地方の治安維持の役割を担っていたのかも)、それを記念して斎藤と名乗ったのだとも推測できます。

鎮守府将軍・藤原利仁は越前国敦賀の豪族・藤原有仁の娘婿。
福井県敦賀市の御名(ごみょう)の「御」はこの地にあった荘園が藤原利仁の直属の名田であることを意味し、「名」は「棒給の田」の意味。
つまり、「将軍直属の棒給の田」というのが地名の由来です。
御名字春日野は、利仁将軍の館跡と伝わる地。
鎮座する天満神社の祭神は天神様(菅原道真)と藤原利仁で、境内には藤原利仁の供養塚があります。

敦賀は日本海に開けた対外交流の窓口で、古くから渤海との関係があり、『今昔物語集』にも唐人(中国の商人)が居住していたことが記されているので、斎藤さんのルーツとなる藤原利仁は、案外国際人だったのかもしれません。

敦賀市南部の粟野地区には、古くから藤原利仁将軍の家臣の末裔と称する人々が30世帯ほどあるそうです。

話を戻して、藤原利仁の子、斎藤さんのルーツとなる藤原叙用。
加賀国二之宮の菅生石部神社(すごういそべじんじゃ/石川県加賀市大聖寺)を氏神とし、その後、斎藤氏は美濃国(現・岐阜県南部)の目代に任ぜられ、美濃に移っていますが、その際、氏神の菅生石部神社の分霊を勧請したので、美濃国には斎藤さんゆかりの菅生石部神社が17社もあるのです。

菅生石部神社

石川県加賀市大聖寺にある古社が菅生石部神社(すごういそべじんじゃ)。古来、朝廷の崇拝を受け、平安時代編纂の『延喜式神名帳』にも加賀国(かがのくに)二之宮に列せられて記載される式内社。流行病(はやりやまい)に御利益があると有名で、近世には大聖

関東の斎藤さんは熊谷がルーツ

その後、斎藤氏は武蔵国と美濃国でも栄えています。

越前から武蔵の長井荘(埼玉県熊谷市の妻沼地域)に移住した斎藤実盛(さいとうさねもり)は、『平家物語』にも登場し、源平時代に名を馳せた有名な武将。
久寿2年(1155年)、源義平が叔父・源義賢を討った大蔵館の戦い(埼玉県嵐山町)では、源義賢の子で2歳の駒王(後の木曽義仲)を保護し、木曽に送り届けているのです。

斎藤実盛は、源為義・源義朝に仕え、保元・平治の乱で活躍した後、平家との結びつきを強くし、当時は平家領だった長井荘の庄官を務め、治承3年(1179年)には、妻沼聖天山歓喜院(熊谷市妻沼)を開いています(歓喜院聖天堂は平成24年に国宝に指定)。

埼玉県熊谷市西野には斎藤別当実盛館跡(熊谷市の文化財)と伝わる地があり、隣接する塚に板石塔婆1基が残されています。

埼玉県は斎藤実盛を郷土の偉人のひとりとしていますが、ゆかりの妻沼聖天山歓喜院には斎藤実盛の像も立っています。

妻沼聖天山歓喜院

妻沼聖天(めぬましょうてん)で知られる埼玉県熊谷市の古刹で東京・浅草の待乳山聖天(本龍院)、奈良県生駒市の生駒聖天(宝山寺)と並んで「日本三大聖天」に数えられています(三重県桑名市の大福田寺、静岡県小山町の足柄山聖天堂とする説も)。本殿「歓

斎藤さんで有名なのは斎藤道三

木曽義仲(源義仲)が、斎藤実盛の供養と戦勝を祈願して実盛着用の兜を奉納したのが、石川県小松市上本折町の多太神社。

元禄2年(1689年)、『奥の細道』途中、多太神社に立ち寄った松尾芭蕉も、奉納されていた実盛の甲を見て「むざんやな 甲の下の きりぎりす」と句を詠んでいます。
斎藤実盛は、源平の合戦(治承・寿永の乱)では、一貫して平家方につき、木曽義仲追討のため北陸に出陣、寿永2年(1183年)、加賀国の篠原の戦いで討ち死に。
命の恩人を討ち取ってしまったことを知った木曽義仲は、大いに嘆いたのです。

武将の斎藤さんといえば少々悪名が高いのが、「美濃の蝮(マムシ)」といわれた斎藤道三(さいとうどうざん)。
その終生は司馬遼太郎の歴史小説『国盗り物語』に記され、NHKの大河ドラマも昭和48年に平幹二朗主演で放送されているので、歴代の斎藤さんの中では有名人の筆頭かもしれません。

僧侶から油商人を経て、下克上を重ねてついに戦国大名にまで成り上がった斎藤道三ですが、最後は長男の斎藤義龍(さおとうよしたつ)によって討たれ、のち美濃斎藤氏は尾張の織田信長に滅ぼされてしまいます。

この斎藤道三ゆかりの地が岐阜県岐阜市。
美濃の守護土岐氏の筆頭家臣・斎藤氏(道三ではない)の居城だった稲葉山城は斎藤道三の手に落ちここを居城にしていますが、天下布武を掲げた織田信長がこの濃尾平野を平定、それまでの稲葉山城を岐阜城へ改名しています。

近くには、かつて土岐頼芸(ときよりのり)が居城としていたものを、斎藤道三が乗っ取った鷺山城跡や、斎藤道三が討ち取られた崇福寺があります。

当初、道三の遺体は祟福寺の西南に埋葬されましたが、塚は長良川の洪水で流され、天保8年(1837年)、菩提寺である常在寺第27世の日椿上人が祟福寺近くに移し、碑を建立。

斎藤さんなら、一族で最も有名な斎藤道三に敬意をはらって、一度は岐阜金華山に。

斎藤道三も眺めたであろう金華山からの長良川

岐阜城

岐阜(ぎふ)の市街を見下ろす金華山(329m)の山頂に建つ山城。かつては斎藤道三の居城・稲葉山城でしたが、1567(永禄10)年、織田信長は小牧山城(愛知県小牧市)から本拠を移し、新たに山城を築城して岐阜城と改名しました。織田信長は、岐阜城

斎藤さんは、山形県、福島県に多い名前

斎藤さんは、北海道・東北地方では8位にランクイン(占有率1.18%)。
とくに多いのが山形県で4位(3.09%)と圧倒的に多く、実は山形県庁の職員にも斎藤さんが多数。
お隣の福島県も4位ですがシェアは1.79%で山形県には叶いません。

幕末の志士・清河八郎も庄内藩郷士で田川郡清川村(現・山形県東田川郡庄内町)の酒造業・齋藤豪寿の子。
ただし、東北の斎藤さんは、戦国時代以前に遡る系譜がなく、ルーツは判然としないのです。
あくまでも仮説ですが、敦賀などから日本海沿いを北上し、庄内、最上川で出羽にという大移動があったのかもしれません。

栃木県では5位(1.29%)ですが、以西でTOP5に食い込んでいる県はありません。
ご自身、あるいは知り合いに斎藤さんがいるなら、まずは東日本の人ということに。

代表家紋は撫子(なでしこ)と望月。
藤原氏なので下り藤、他に梅鉢、矢筈、石畳。
木瓜(もっこう)、剣片喰(けんかたばみ)、桔梗、井桁、菱、藤の丸など。
斎藤道三は撫子紋から自身で考案した「道三波」に変えています。
斎藤さんで家紋が「道三波」なら、斎藤道三の末裔かも・・・。

取材・編集協力/札場靖人(家紋と姓名研究家)
人口に関するデータは明治安田生命全国同姓調査による(2018年7月)推計値です

斎藤さんのルーツを探せ!
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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