吉見百穴

吉見百穴

吉見百穴(よしみひゃくあな、よしみひゃっけつ)は、埼玉県吉見町にある古墳時代の後期(6世紀末〜7世紀末)に造られた横穴墓群で、岩山に無数の穴が掘られている奇観。横穴墓は丘陵や台地の斜面を掘削して墓としたもので、凝灰質砂岩が横穴を掘るのに最適な地質だったことから墓としたもの。国の史跡。

戦時中には中島飛行機の地下軍需工場も建設

明治20年、坪井正五郎博士は東大大学院の卒業論文の一環として発掘調査し237穴を発掘しましたが、現在確認できるのは219基。
発掘当時は「日本の先住民族、コロポックルの住居跡」と推測されていいましたが、大正末期に集合墳墓とされました。
このうち2〜3の穴にはヒカリゴケが生育。
植物分布上、ヒカリゴケが関東平野で見られるのは非常に珍しい例で、国の天然記念物「吉見百穴ヒカリゴケ発生地」になっています。

また、戦時中には朝鮮人労働者が動員され、中島飛行機の地下軍需工場も建設されています。

2.5km北東、八丁湖の北側には黒岩横穴墓群(くろいわよこあなぼぐん、くろいわおうけつぼぐん/埼玉県の史跡)があり、その総数は500基以上と推定されていますが、学術的な調査がほとんどなされていません。

埼玉県では行田市にある八幡山古墳が古墳時代後期、つまり古墳築造の終焉期に築かれた円墳で、7世紀中頃のものと推測されています。

横穴墓

吉見百穴が発見された当初は、坪井正五郎博士のコロボックルの住居説と、白井光太郎が唱えた墓であるという主張による穴居論争(けっきょろんそう)が3年ほど展開し、ついに墓であるという決着がついたのです。
古墳時代の後期頃に大陸から横穴式の石室構造が伝来し、大規模な古墳を造ることなく、石室に追葬することで墳墓のリサイクルも可能になりました。
吉見百穴に葬られている人は、豪族、渡来人などと推定されています。
仏教伝来とほぼ時を同じくして日本に渡来した横穴墓というわけなのです。
不規則な箇所は比較的初期に、整然と並んでいる箇所は後期に造られたものと考えられています。

吉見百穴
名称吉見百穴/よしみひゃくあな
所在地埼玉県比企郡吉見町北吉見327
関連HP吉見町公式ホームページ
電車・バスで東武東上線東松山駅から川越観光自動車バス鴻巣免許センター行き、比企吉見農協行きで10分、百穴入口下車、徒歩5分
ドライブで関越自動車道東松山ICから約5km
駐車場200台/無料
問い合わせ吉見百穴 TEL:0493-54-4541
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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