大慈寺(秩父三十四所観音霊場・札所10番)

大慈寺(秩父三十四所観音霊場・札所10番)

埼玉県横瀬町にある曹洞宗の寺、大慈寺。秩父三十四所観音霊場・札所10番で本尊は、平安時代の天台僧・恵心僧都(えしんそうず=源信)作という伝承の聖観世音菩薩で、子供を抱いた子安観音(金銅仏)、地蔵菩薩、十一面観音も安置され、9番・明智寺とともに子育観音としての信仰を集めています。

子育観音としての信仰を集める

大慈寺(秩父三十四所観音霊場・札所10番)

延徳2年(1490年)、東雄朔方禅師の開山。
楼門形式の仁王門、そして寄棟造りの美しい本堂が寺の風格を伝えています。
本尊が聖観世音菩薩像で、脇仏が子安観音、地蔵菩薩像。
本堂には「なで仏」として諸病を治すといわれる「おびんずる様」も安置されています。

秩父札所では、横瀬町(5番〜10番)最後の札所となり、再び秩父市内に入ります。

広重・豊国作 『観音霊験記 秩父順礼』第十番万松山大慈寺 摂州の儒士

大慈寺(秩父三十四所観音霊場・札所10番)

幕末の安政5年(1858年)、午歳総開帳(うまどしそうかいちょう=札所本尊の総開帳)にあわせて、江戸で作成・販売された『観音霊験記』。
秩父六番札所の卜雲寺・萩野堂を描いた錦絵。
歌川広重が札所の様子を、さらに歌川豊国が札所にまつわる霊験(れいげん)を描いています。

摂州(摂津国=現在の大阪府西部と兵庫県南東部)から来山した儒者が住み込み、因果応報という言葉を知らず、ただ僧を賊のごとくに辱しめたので、本尊が老僧となって儒者が住む家に行き、これを諭したという霊験(れいげん)が記されています。
儒教と仏教の対立、儒仏問答は、江戸時代の初めに儒教が台頭したことから生まれています。
17世紀後半には儒者による本格的な仏教批判が行なわれましたが、この「摂州の儒士」は、そうした世相を反映したものと推測できます。

霊場間の距離・時間

9番札所・明智寺(埼玉県秩父郡横瀬町横瀬2160)— (2.2km/徒歩30分)— 10番札所・大慈寺(埼玉県秩父郡横瀬町横瀬5151)— (1.1km/徒歩15分) — 11番札所・常楽寺(埼玉県秩父市熊木43-28)

名称 大慈寺(秩父三十四所観音霊場・札所10番)/だいじじ
所在地 埼玉県秩父郡横瀬町横瀬5151
電車・バスで 西武鉄道西武秩父駅から西武観光バス三沢経由定峰・皆野駅行きでの札所十番下車、徒歩2分
ドライブで 関越自動車道花園ICから約25km
駐車場 20台/無料
問い合わせ TEL:0494-23-4124
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
明智寺(秩父三十四所観音霊場・札所9番)

明智寺(秩父三十四所観音霊場・札所9番)

埼玉県横瀬町にある建久2年(1191年)、明智禅師の開創と伝えられる古刹が明智寺。秩父三十四所観音霊場・札所9番で、観音堂は札所5番の語歌堂と同時代に同形式で建立されています。その観音堂は、明治16年に落雷で焼失し、平成2年に再建されたもの

常楽寺(秩父三十四所観音霊場・札所11番)

常楽寺(秩父三十四所観音霊場・札所11番)

埼玉県秩父市にある曹洞宗の寺、常楽寺。秩父三十四所観音霊場・札所11番で、西武鉄道西武秩父駅、秩父鉄道秩父駅・御花畑駅から徒歩圏内にある札所。本尊は、十一面観世音で、明治初年までは天台宗の寺で、第18代天台座主で比叡中興の元三大師(慈恵大師

 

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