天王山塚古墳

天王山塚古墳

埼玉県久喜市菖蒲町にある前方後円墳が天王山塚古墳(てんのうやまづかこふん)。「栢間七塚(ななつか)」と呼ばれる栢間古墳群(9基)のひとつ、墳丘長107mの前方後円墳です(埼玉県で6番目の巨大な古墳、最大は二子山古墳で132.2m)。広葉樹林に覆われ、一見すると小高い森のような雰囲気です。

古墳時代後期に築造された巨大古墳

過去に発掘調査が行なわれたことがなく、不明な点が多いの古墳ですが、古墳上で採集された埴輪(はにわ)の片の年代などから古墳時代後期(6世紀後半)の築造と推測できます。
古墳時代後期は、それまで埼玉古墳群(さきたまこふんぐん/行田市)に集中していた大型の前方後円墳が周辺地域でも築かれるようになった時期です。
大和では、すでに仏教が伝来したことで巨大古墳の築造が廃れ、蘇我馬子(墳墓と推測されるのは石舞台古墳)が権勢を振るった時代です。

出土した埴輪片は、東日本最大級の埴輪窯といわれる生出塚遺跡(おいねづかいせき/鴻巣市)の埴輪窯で生産されたものと推測されています。
石室に使われたと推測される角閃石安山岩(かくせんせきあんざんがん)が点在していますが、群馬県の榛名山に産する石を、河川を使って運んだもの。

被葬者は古墳の規格から、北武蔵地域の伝統的な勢力の出身であり、上毛野地域の最高首長層との関係のある人物か、あるいは遠方から石材を運べるだけの政治力を有していたということになります。
また、天王山塚古墳が築かれた頃には、埼玉古墳群に埋葬される首長たちの優位性が失われていたことも明らかです(埼玉古墳群を形成してきた勢力とも匹敵する首長の誕生)。

鞍部に建つ薬師堂は、天王山塚古墳の北側にあった正福寺(しょうふくじ)の堂。
正福寺は明治の初年の廃仏毀釈の荒波で廃寺となっていますが、祇園精舎の守護神、牛頭天王(ごずてんのう)を祀っていたことから、天王山塚古墳という名も牛頭天王に由来するもの。

墳丘の周囲にあった周溝はほとんど失われていますが、往時は水を湛えた濠が巡らされていたと創造できます。

相玉県の巨大古墳 TOP9

1位 二子山古墳(行田市・さきたま古墳群) 墳丘長132.2m
2位 稲荷山古墳(行田市・さきたま古墳群) 墳丘長120m
3位 野本将軍塚古墳(東松山市)墳丘長115m
4位 小見真観寺古墳(行田市) 墳丘長112m
5位 鉄砲山古墳(行田市・さきたま古墳群)墳丘長 109m
6位 天王山塚古墳(久喜市・栢間古墳群) 墳丘長107m
7位 真名板高山古墳(行田市) 墳丘長104m
8位 若王子古墳(行田市) 墳丘長95m
9位 将軍山古墳(行田市・さきたま古墳群) 墳丘長90m

天王山塚古墳
名称天王山塚古墳/てんのうやまづかこふん
所在地埼玉県久喜市菖蒲町上栢間3284-1
関連HP久喜市公式ホームページ
ドライブで圏央道桶川加納ICから約2.5km
問い合わせ久喜市教育部文化財保護課 TEL:0480-58-1111
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関東にある100m以上の巨大古墳 全59基紹介

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