埼玉県さいたま市緑区にある、かつて、サギの繁殖地として国の特別天然記念物の指定を受けていた「野田のさぎ山」に築かれた4.5haの都市公園が、さぎ山記念公園。サギのモニュメントが出迎える公園には、修景池、芝生広場、キャンプ場、バーベキューエリア、アスレチック遊具、さぎ山記念館などが整備されています。
国の特別天然記念物「野田のさぎ山」跡を公園に
徳川家康の関東入封後に行なわれた、利根川の東遷事業は有名ですが、同時に荒川の西遷も行なわれ、その結果、荒川周辺の農業用水の不足を招くことになりました。
寛永6年(1629年)、伊奈忠治(いなただはる)は、八丁堤を築いて見沼に流入する水を堰き止め、面積1200haにも及ぶ広大な見沼溜井(みぬまためい)を完成させ、農業用水が確保され、水運も利用できるようになったのです。
徳川吉宗の命による、享保年間(1716年〜 1735年)に行なわれた享保の改革では、見沼の干拓と新田開発が進められ、今度はせっかく築いた八丁堤を切り裂いて、排水し、見沼溜井を見沼田んぼへと変えています(同時に西縁と東縁にそって見沼代用水を掘削)。
この見沼田んぼの誕生で、サギやカワウが訪れるようになり、紀州徳川家の鷹狩の場(大宮鷹場)でもあったため、鳥見役を配し(8月〜2月は鷹場内で川魚の採取も禁止)、サギの集まる野田地区は「紀伊殿囲鷺」(きいどのかこいさぎ)として幕府の保護を受けていました。
安永5年(1776年)には、10代将軍・徳川家治が日光社参の途中に、サギ見物に寄り道するほど有名に。
その流れで、明治維新後も禁猟区、鳥獣保護区、天然記念物、そして昭和13年、「野田のサギ及びその繁殖地」として特別天然記念物に指定されたのです(埼玉県の特別天然記念物は、当時は合計4ヶ所)。
昭和32年頃には最盛期を迎え、営巣数は6000を数えるまでに。
高度成長期になると、周辺の開発とともに、昭和39年頃から減少に転じ、昭和46年頃にはほぼゼロに。
サギが営巣しなくなったため昭和59年に国の特別天然記念物の指定が解除されたのです(特別天然記念物では唯一の解除事例)。
さぎ山記念公園に西に隣接して見沼自然公園があり、公園の間を見沼代用水東縁が流れ、見沼田んぼの歴史を今に伝えています。
画像協力:さいたま市
さぎ山記念公園 | |
名称 | さぎ山記念公園/さぎやまきねんこうえん |
所在地 | 埼玉県さいたま市緑区大字上野田362-1 |
関連HP | さいたま市公園緑地協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR大宮駅から国際興業バス浦和学院高校行きから約24分、さぎ山記念公園下車、すぐ |
ドライブで | 東北自動車道浦和ICから約5km、岩槻ICから約6km |
駐車場 | 42台/無料 |
問い合わせ | さぎ山記念公園 TEL:048-878-3656/FAX:048-878-4310 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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