彦根城の国宝に指定される天守は、牛蒡(ごぼう)積みと呼ばれる一見雑に見えるが実は強固だという石垣の上に三重の天守をのせたもの。天守完成の慶長11年(1606年)には、彦根藩はまだ18万石。石高に合わせたやや小ぶりの天守となっていますが、北西に附櫓(つけやぐら)が、さらに長い多聞櫓が連なっています。
優美な天守にも実戦的な狭間が隠されている!
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犬山城、松本城、姫路城、松江城と並び、国宝5天守のひとつ。
徳川幕府の重鎮・井伊家の居城だけに諸大名参加の天下普請(てんかぶしん)で築かれています。
天守前の広場から見上げた姿は天守の南面で、最上層の屋根に丸みを帯びた唐破風(からはふ)、1・2層には三角の千鳥破風(ちどりはふ)という優美な出で立ち。
とくに1層目に8ヶ所配された破風は、それぞれの大きさと奥行きに変化をもたせています。
1層目には実戦的な武者窓、2層目には寺院などで見かける曲線が美しい花頭窓(かとうまど) を施しています。
さらに3層目には高欄付きの廻縁(まわりえん)を配して、外観にも重きをおいたことがわかります。
彦根城天守の狭間(鉄砲狭間、矢狭間)は、板で塞がれているため外見では狭間に気づきませんが、豊臣家を滅亡に追いやった大坂の陣の前に築城されているため、実戦的な備えがなされています。
万一の時には、板を破って狭間から射撃することになっていたのです。
天守に入ったら通し柱がない点にも注目を
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内部の見学時に気がつくのですが、通し柱を用いていません。
各階ごとに積み上げていく方式で、櫓上に望楼をのせるという古い形を踏襲しています。
また、調査の結果、もともと5階4重の旧天守を移築したものであることが判明し、彦根藩主井伊家の歴史を記した『井伊年譜』には、「天守は京極家の大津城の殿守也」とることから、大津城(大津市)の天守を移築したのではないかと推測されています。
大坂城への守りの要として築かれてはいますが、一度も実戦を経験することなく、明治維新で廃城となっています。
ただし、江戸時代にも、藩主は御殿で暮らし、天守は歴代藩主の甲冑(かっちゅう)などが収納される倉庫として使われていました。
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彦根城・天守 | |
名称 | 彦根城・天守/ひこねじょう・てんしゅ |
所在地 | 滋賀県彦根市金亀町1-15 |
関連HP | 彦根城公式ホームページ |
電車・バスで | JR彦根駅から徒歩15分 |
ドライブで | 名神高速道路彦根ICから約2.8kmで二の丸駐車場 |
駐車場 | 二の丸駐車場(40台)・京橋口駐車場(160台)・桜場駐車場(110台)・大手前駐車場(25台)/有料 |
問い合わせ | 彦根城管理事務所 TEL:0749-22-2742/FAX:0749-22-2905 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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