長浜城大手門跡

長浜城大手門跡

長浜市街の中心地、御旅所の交差点近くにあったのが羽柴秀吉が縄張りした長浜城の大手門。長浜城大手門跡(追手門跡)から東へのびる通りが大手通で往時の長浜城下の中心地だった場所です。南の本町とともに城下町のメインストリートでした。大手通と北国街道が交差する場所が「札の辻」という構造です。

ここが長浜城の表玄関、大手口

大通寺台所門は、山内一豊城主時代の長浜城大手門を移築したと伝えられています。
大手門から東に延びる大手道(現在の大手通り〜八幡通り)は、西国第三十三満願霊場・谷汲山華厳寺(岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲)へと通じる美濃谷汲街道にもなっていて、往時には谷汲山へと向かう巡礼者の姿を見たことでしょう。

長浜城大手門跡
名称長浜城大手門跡/ながはまじょうおおてもんあと
所在地滋賀県長浜市南呉服町9
関連HPびわこビジターズビューロー公式ホームページ
電車・バスでJR北陸本線長浜駅から徒歩3分
ドライブで北陸自動車道長浜ICから約3.8km
駐車場お旅駐車場(34台/有料)・長浜駅東駐車場(168台・1時間まで無料、以降有料)など
問い合わせ長浜市観光振興課 TEL:0749-65-6521/FAX:0749-64-0396
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
大通寺台所門

大通寺台所門

滋賀県長浜市の大通寺台所門(薬医門)は長浜城の大手門の遺構。大通寺では台所門と呼んでいますが、扉金具に天正16年の銘があることから山内一豊城主時代の大手門だと推測できます。長浜城は元和元年(1615年)に廃城になり、資材の大半は彦根城の築城

長浜城外堀跡

長浜城外堀跡

羽柴秀吉(豊臣秀吉)が初めて城持ちとなり築いた長浜城は、別名「秀吉出世城」。縄張りや小谷城下から移した城下町の都市計画も秀吉らしさが感じられます。外堀くすのき通りは、長浜城のもっとも外を囲う長浜城外堀跡。琵琶湖に臨んだ本丸の内側に内堀(長浜

長浜城歴史博物館

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豊公園(長浜城跡)

豊公園(長浜城跡)

滋賀県長浜市の琵琶湖の湖畔に広がる、秀吉や大河ドラマ『功名が辻』の主人公・山内一豊ゆかりの長浜城跡にある公園が豊公園。琵琶湖に面した広い園内には往時の名残をとどめる太閤井戸などの遺構が残され、天守を模した「長浜城歴史博物館」も建っています。

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