大通寺台所門

大通寺台所門

滋賀県長浜市の大通寺台所門(薬医門)は長浜城の大手門の遺構。大通寺では台所門と呼んでいますが、扉金具に天正16年の銘があることから山内一豊城主時代の大手門だと推測できます。長浜城は元和元年(1615年)に廃城になり、資材の大半は彦根城の築城に流用されていますが、井伊家と大通寺の関係から移築された可能性が大。

山内一豊時代の長浜城の大手門(薬医門)を移築

大通寺台所門は、切妻造り、本瓦葺きの薬医門ですが、庫裏(寺院の台所)の正面に開かれていることから台所門と呼ばれています。
向って左脇間は柱に残る痕跡から潜戸(くぐりど)があったことがわかっています(潜戸は屋根裏に保存されています)。

大通寺に山門が建築されるまでは、この門が大通寺の正門であったとされ、文化5年(1805年)の山門建築が開始された際にに現在位置に移築されたといわれています。

彦根城天秤櫓は、長浜城から移したものと伝えられ、知善院表門も、長浜城の搦手門を移築という伝承で、大通寺台所門含めてこの3つが長浜城の遺構です。

大通寺台所門
名称大通寺台所門/だいつうじわきもんだいどころもん
所在地滋賀県長浜市元浜町32-9
電車・バスでJR長浜駅から徒歩10分
ドライブで北陸自動車道路長浜ICから約3.2km
駐車場お旅駐車場(34台/有料)、長浜駅東駐車場(168台/1時間まで無料、以降有料)など
問い合わせ長浜市観光振興課 TEL:0749-65-6521/FAX:0749-64-0396
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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