滋賀県長浜市の東部に位置する石田町は、戦国時代末期、豊臣秀吉の五奉行として活躍したといわれる知将・石田三成(いしだみつなり)の出生地。現在は公民館となった石田家の屋敷跡には「石田治部少輔(いしだじぶしょうゆう)出生地」と刻まれた顕彰碑も建っています。石田会館には、石田三成を顕彰するゆかりの品々などを展示。
関ヶ原合戦西軍の将、石田三成の生誕地
石田三成は、永禄3年(1560年)、近江国坂田郡石田村(現:滋賀県長浜市石田町)の土豪・石田正継(いしだ まさつぐ)の次男として生誕。
石田正継は、『万葉集』をひもとき、和歌を詠ずる文人でもあったといい、醒ヶ井の松尾寺から60巻の書を借用し、読破。
それを我が子にも読ませようとしたといい、石田三成の知将としての才能は、親の教育で開花したのかもしれません。
少年時代を大原観音寺(滋賀県米原市朝日1342)で過ごしたと伝えられ、寺の小僧だった三成が、鷹狩りで立ち寄った羽柴秀吉に茶を献じて(「三献の茶」)、「三椀の才」で見出されたという逸話が残されています(JR長浜駅前の「秀吉・三成出逢いの像」はそのシーンを表しています)。
石田会館内の「石田三成資料室」には、地元が大河ドラマの主人公にと運動を展開する石田三成の生涯を描いた絵巻パネル、石田屋敷復元ジオラマ、古文書などを展示
石田三成の故郷、長浜市石田町一帯には石田屋敷の池跡(治部池)、石田三成産湯の井戸も残されています。
石田会館背後の山は、横山城。
浅井長政(あざいながまさ)の防衛拠点として築かれ、織田信長との激戦の地となり、元亀元年6月28日(1570年7月30日)の姉川の戦い直後に落城しています。
その際に織田信長は、城番として木下秀吉(後の豊臣秀吉/元亀3年に羽柴秀吉に改名)を任命しています。
ちなみに石田三成の墓所は、大徳寺三玄院(京都府京都市北区紫野大徳寺町76)にあります。
名称 | 石田会館(石田屋敷跡・石田三成出生地)/いしだかいかん(いしだやしきあと・いしだみつなりしゅっせいち) |
所在地 | 滋賀県長浜市石田町治部576 |
関連HP | 長浜・米原を楽しむ観光情報公式サイト |
電車・バスで | JR長浜駅から湖国バス近江長岡駅行きで20分、石田下車、徒歩3分 |
ドライブで | 北陸自動車道長浜ICから約4km |
駐車場 | あり/無料 |
問い合わせ | 石田会館 TEL:0749-62-8285 |
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