時代劇を見ると、牧之原台地の茶畑から富士を仰ぐシーンがあります。まさに茶の産地・静岡を象徴するシーンですが、実は牧之原台地に茶畑が造られたのは明治以降なんだとか。家康も愛飲した美味しい静岡茶を飲む前に、まずは「静岡茶のルーツはどこ!?」に迫ります。
静岡茶は鎌倉時代に聖一国師が植栽したのがルーツ!
鎌倉時代の名僧で東福寺開山で知られる聖一国師(しょういちこくし/円爾弁円=えんにべんねん)。
建仁2年(1202年)、駿河国阿倍郡大川村栃沢(現・静岡市葵区)に生誕。
幼いときから久能山久能寺の堯弁(きょうべん)に師事し、倶舎論・天台を学習。18歳で得度し、上野国・長楽寺(現・群馬県太田市の名刹、栄朝開山で臨済宗関東十刹)の栄朝、次いで鎌倉・寿福寺の退耕行勇(たいこうぎょうゆう)に師事して臨済禅を学びます。
嘉禎元年(1235年)、宋(中国)に渡航し、仁治2年(1241年)に帰国し上陸地の博多にて承天寺を開山、のち上洛して東福寺を開山。
円爾(聖一国師)は、宗から仏書1000余巻とともに茶の実を持ち帰り、生誕地(駿河国阿倍郡大川村栃沢=静岡市葵区栃沢)に隣接する駿河国安倍郡三和村足窪(静岡市葵区足久保奥組)の地に蒔きます。
この静岡市葵区足久保の地が、静岡茶(安倍茶)の発祥の地。現在、足久保地区には、急傾斜地を利用した棚茶畑が多くあり、「静岡のマチュピチュ」とも称されています。
『東福寺誌』には、「国師の駿河穴窪の茶植え」とあるのが唯一の裏付けとなる記録で、安倍川や藁科川流域のお茶は、現在、静岡本山茶と呼ばれています。
静岡本山茶は家康も愛飲!
江戸時代、駿府城に隠居していた徳川家康は静岡本山茶の深い味わいをこよなく愛し、お茶の品質を維持・向上させるために、新茶を茶壺に詰め夏の間の品質保持のため冷涼な井川大日峠(標高1200m)のお茶蔵に収蔵していました。
お茶蔵には、新茶が「茶詰めの儀」で茶壺に詰められ保管され、晩秋の頃になると茶壺が山から下ろされ、家康の居城・駿府城(現在の駿府公園)へと運ばれます。
これが「お茶壺道中」で、駿府城で熟成されたお茶を楽しむ「茶会」が行なわれたと伝えられています。
現在大日峠には平成14年10月に「お茶蔵」が静岡市の手によって復元され、毎年、往時を偲んで『駿府お茶壺道中』が実施されています。
「お茶蔵」には、『駿府お茶壺道中』で使用する籠、壺およびお茶、さらには静岡市内で生産・加工されたお茶が古式に則って保管されています。
円爾(聖一国師)故郷・栃沢(静岡市葵区栃沢)の聖一国師が生まれたとされる場所に「聖一国師の生家」石碑、茶を植えたとされる足久保(静岡市葵区足久保奥組)に「静岡茶発祥の碑」が立てられています。
静岡茶(安倍茶)発祥の地 | |
名称 | 静岡茶(安倍茶)発祥の地/しずおかちゃ(あべちゃ)はっしょうのち |
所在地 | 静岡県静岡市葵区足久保奥組 |
関連HP | 静岡市公式ホームページ |
ドライブで | 新東名高速道路新静岡ICから約10km |
駐車場 | 20台/無料 |
問い合わせ | 静岡市農林水産部中山間地振興課 TEL:054-294-8805 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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