石見銀山(島根県大田市)にある戦国武将・毛利元就(もうりもとなり)を祭神とする神社が豊栄神社(とよさかじんじゃ)で、同名の神社は山口県山口市にあり、祭神は同じ。幕末の慶応3年(1867年)までは洞春山・長安寺という曹洞宗の寺でしたが、明治の神仏分離、廃仏毀釈で神社になったもの。山名の洞春とは毛利元就の法号です。
西国最大の大名となった毛利元就を祀る
社伝によれば、毛利元就は、永禄4年(1561年)頃に石見銀山防衛のための拠点・山吹城内に自らの木像を安置し、元亀2年(1571年)に長安寺を建立したとのこと。
石見銀山を巡っては、戦国時代に多くの武将による争奪戦が展開されました。
毛利元就は石見銀山を奪うため、諦めることなく戦を仕掛けますが、対する尼子氏の守りは堅固で、永禄5年(1562年)年6月、ようやく8度目の戦いで石見銀山を手に入れています。
当時、スペインやポルトガルなどの南蛮船は、石見銀山で産する銀を求めて日本に来航していました(当事、石見銀山からの産出量は年間38トン、世界の産出量の3分の1を占めていました)。
毛利元就は、石見銀山の銀で財を蓄え、南蛮貿易で火薬の原料・硝石を手に入れています。
永禄9年(1566年)の毛利元就中国統一は、この石見銀山の奪取が貢献したのは間違いありません。
そんな歴史を伝えるのがこの豊栄神社なのです。
慶応2年(1866年)、第2次長州戦争で大森に進軍した長州藩(藩主・毛利敬親)は、長安寺を本陣とし、毛利元就の木像が神像として祀られていたことを知って社を再興したもの。
長州藩の隊士名が、灯篭や鳥居に刻まれていて興味深い。
明治2年に朝廷が長州藩の始祖といえる毛利元就に豊栄の神号を与え、豊栄神社となりました。
豊栄神社 | |
名称 | 豊栄神社/とよさかじんじゃ |
所在地 | 島根県大田市大森町大森ホ211 |
関連HP | 大田市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR大田市駅から石見交通バス川本線(世界遺産センター行き・大森行き)で28分、大森下車、徒歩15分 |
ドライブで | 山陰自動車道(仁摩温泉津道路)仁摩・石見銀山ICから約7.8kmで世界遺産センター |
駐車場 | 交通規制のため世界遺産センター駐車場(石見銀山駐車場400台/無料)を利用し、路線バスで大森バス停へ |
問い合わせ | 大田市観光協会 TEL:0854-88-9950 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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