築地反射炉

反射炉とは壁や天井の面などで輻射させ熱を増幅させて鉄などを溶かす炉のこと。長瀬町の日新小学校の校庭は、12代藩主鍋島直正の命を受け1850(嘉永3)年、大銃製造方という役所を設置し、国内初の洋式反射炉が築かれた築地反射炉の跡地です。反射炉の縮小復元模型と記念碑、24ポンドカノン砲の模型が配されています。

日本初の洋式反射炉跡

長崎防衛の特別任務を担った佐賀藩は、清国とイギリスとの間で起こったアヘン戦争(1840年〜1842年)やオランダからの開国勧告(1844年)などに危機感を抱きます。
そこで、江戸幕府に大砲鋳造などを献策しましたが、幕府の財政難から実現されません。
そんな背景から佐賀藩は、藩独自の財政で苦心の末に大砲の鋳造に成功させるのです。

反射炉建設は伊東玄朴(いとうげんぼく)らによって訳された1冊のオランダ語原書を基に行なわれ、鋳造されたその大砲は信頼性が高く長崎港の防備に役立つこととなりました。
優れた大砲を鋳造した佐賀藩には、ペリー来航に慌てた幕府からも200門もの大砲の注文が入り、ここだけでは製造が間に合わず、1853(嘉永6)年新たに多布施反射炉(現・佐賀市伊勢町)も増築。

戌辰戦争の際には、佐賀藩の鋳造したアームストロング砲が大いに威力を発揮しているのです。

佐賀市教育委員会による平成22年の築地反射炉跡の調査では駐車場の一角からは耐火レンガや金属を溶解する際に出たと見られる鉄かすが出土。
築地反射炉は、残念ながら遺構は残っておらず、現存する往時の反射炉遺構は、伊豆の国市韮山、山口県萩市の2ヶ所のみです。

反射炉と蘭方医・伊東玄朴の関係とは!?

反射炉の建設にあたって参考とされたのは、オランダのヒュゲーニン(Ulrich Huguenin)の技術書『ロイク王立製鉄大砲鋳造所における鋳造法(Het Gietwezen in’s Rijks Ijzer – geschutgieterij te Luik)』。
高島秋帆(たかしましゅうはん)が輸入していましたが翻訳はされていませんでした。
それを翻訳したのが当時佐賀藩の蘭方医だった伊東玄朴と弟子の杉谷雍介、池田才八。
訳本『銕砲全書』を基礎にして佐賀城の北西にある築地で反射炉を築いて、1850(嘉永3)年の暮には稼働しますが、失敗。
嘉永4年4月10日(1851年5月10日)、5回目の鋳造で初めて鉄砲1門の鋳造に成功しますが、当初は試し打ちで爆発し、射手などが死亡する事故が続出。
嘉永5年5月2日(1852年6月19日)の14回目の鋳造で初めて成功し、量産化にこぎつけています。
伊東玄朴旧宅は佐賀県神埼市にあります。

神埼市の伊東玄朴旧宅にある胸像
築地反射炉
名称築地反射炉/ついじはんしゃろ
所在地佐賀県佐賀市長瀬町9-15
関連HP佐賀市公式ホームページ
電車・バスでJR佐賀駅からタクシーで5分。または佐賀市営バス平松循環、森林公園前行きで11分、長瀬町下車、徒歩5分
ドライブで長崎自動車道佐賀大和ICから約8.7km
駐車場なし
問い合わせ佐賀市観光振興課 TEL:0952-40-7110
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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