菜畑遺跡

唐津市の西南部にある縄文時代の遺跡で、日本最古の水稲耕作の跡が発見される貴重な遺跡です。周辺には宇木汲田遺跡、桜馬場遺跡などもあり、古くから拓けた地であるため、『魏志倭人伝』で、最初に本土に上陸する末盧国(まつろこく/まつらこく)の一部ではと推測されています。

九州北部では縄文時代に稲作などの農耕が始まっていた!

復元された水田では古代米(赤米)も栽培されている

昭和54年に発見され、昭和55年〜56年に唐津市教育委員会により発掘調査が実施されています。
その結果、住居跡、土壙墓(どこうぼ)、甕棺墓(かめかんぼ)、水田跡、井堰(いぜき)、貝塚などが確認されました。

縄文時代前期~弥生時代中期の遺跡で、水田跡は、畦畔(けいはん)や矢板列によって区画されており、縄文時代晩期から弥生時代中期にかけての、数期にわたる変遷が明らかとなりました。

また、水田跡の最下層は、縄文時代晩期後半のもので、炭化した米や木製農具とともに縄文時代の土器が出土し、目下、日本最古の水田跡となっているのです。
それ以前にも福岡市の板付遺跡では、縄文時代晩期の最後の土器である夜臼(ゆうす)式土器と水田の跡が確認されていました。
さらに、宇木汲田遺跡(唐津市)では、炭化した籾(もみ)が、夜臼式土器に一粒付着していたので、発掘調査には大きな期待がありました。
水田跡が発掘されたのは、昭和56年8月31日、発掘期限の最終日というドラマチックな状況だったとか。

遺跡は保存整備により竪穴住居や古代の水田が復元され、出土した貴重な遺物は併設の「末盧館」に展示されています。
ちなみに稲作だけでなく、アワ、オオムギ、ソバ、アズキ、シソ、ゴボウ、メロンなど、多くの畑作物が確認されています。また、ドングリやシイ、クリ、クルミ、モモ、ブドウなど大量の木の実も出土。
縄文時代は採集・狩猟というこれまでの常識に疑問符を投げかける遺跡になっているのです。

菜畑遺跡
名称菜畑遺跡/なばたけいせき
所在地佐賀県唐津市菜畑3355-1
関連HP唐津観光協会公式ホームページ
電車・バスでJR唐津駅から徒歩15分
ドライブで西九州自動車道(福岡前原道路)前原東ICから約28.4km
駐車場末盧館臨時駐車場(無料)を利用
問い合わせ末盧館 TEL:0955-73-3673
唐津観光協会 TEL:0955-74-3355/FAX:0955-74-3365
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

取材・画像協力/(一社)唐津市観光協会

末盧館

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