佐賀県唐津市北城内、唐津城本丸西南の海岸沿いに建つ、高取伊好(たかとりこれよし)の旧宅が旧高取邸。中庭を囲むようにして建つ住宅は、明治後期から大正時代に建てられたもので、和洋折衷の近代建築遺産として、国の重要文化財に指定。昭和初期の状態に復元し、旧高取邸として公開しています。
洋間、能舞台、大広間を飾る杉戸絵に注目
高取伊好は杵島(きしま)炭坑の経営などで財をなした人物で、「肥前の炭鉱王」。儒学者の家に生まれ、和漢と英語を修め、明治5年、工部省鉱山寮に学んだ近代的鉱山技術者の一人です。
生活空間として使われた居室棟は、大正7年の築。
東には漆喰天井で煙突が付いた洋間(応接室)、西には台所、北には伊好の寝間や書斎などが配置され、寝間と書斎は和室ながら、両部屋の間に暖炉が置かれ、どちらの部屋も暖を取ることができるようになっています。
暖炉にはイタリア産大理石と黒曜石が使われ、鶴亀文様の有田焼のタイルが敷かれるという、まさに和洋折衷の妙。
また周辺には土蔵や湯殿、ワインセラーなども配されています。
中庭の東側に建つ大広間棟は、明治37~38年の築造で、迎賓館としても使われた豪華な建物。
なんと住宅に能舞台が組み込まれており、床に漆喰を入れて音響効果を高めるなど、襖や欄間などの意匠だけでなく実用効果も意識した造りになっています。
能舞台があるのは、旧多久藩が学問が盛んで、高取伊好も武家の嗜み(たしなみ)として茶をたしなみ、能にも造詣が深かったから。
邸宅の新築祝いの能会は、3日続くという盛大なものでした。
藤、山桜、垂れ桜、菊、松、紅葉が描かれた29種類72枚の杉戸絵(杉の板戸に描かれた絵で、大広間周囲に配されています)は京都四条派の絵師・水野香圃(みずのこうほ)が約半年ほど滞在して描いた力作と伝えられています。
来賓用の玄関と主人用、家族用と3つもある玄関があり、近代和風建築の素晴らしさだけでなく、格調高い書画や、邸宅内の能舞台で使われた道具類などから、「肥前の炭鉱王」の財力、そして美意識を窺い知ることができます。
佐賀県多久市にある西渓公園(せいけいこうえん)は、高取伊好が大正時代に築いた山を借景にした山水庭園などを大正11年に多久村(現・多久市)寄贈したもの(「西渓」は高取伊好の号)。
苦労の末、「肥前の炭鉱王」となった高取伊好
高取伊好はもともと高島炭鉱に務め、退職して故郷(多久出身)の佐賀県で、炭鉱経営を目指します。
明治32年には相知炭鉱会社を設立しますが、財閥の支えのない鉱業家は資金力もなく、翌年、三菱財閥に売り渡しています。
高取伊好は、借金を重ねますが、それに屈することなく、唐津の芳ノ谷炭坑を敢えて手放し、杵島炭鉱に賭け、ついに「肥前の炭鉱王」と呼ばれるまでに発展を遂げたのです。
大正8年の引退後は、この唐津の自宅と雲仙の別荘で過ごし、昭和2年、雲仙の別荘で78歳で没しています。
旧高取邸 | |
名称 | 旧高取邸/きゅうたかとりてい |
所在地 | 佐賀県唐津市北城内5-40 |
関連HP | 唐津市公式ホームページ |
電車・バスで | JR唐津駅から徒歩15分 |
ドライブで | 西九州自動車道前原東ICから約27.6km |
駐車場 | 唐津市営南城内駐車場(166台/有料) |
問い合わせ | 旧高取邸 TEL:0955-75-0289/FAX0955-75-0289 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
取材・画像協力:(一社)唐津観光協会
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