須山浅間神社
社伝によれば日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の際に創建と伝わる古社が静岡県裾野市須山の須山浅間神社で、世界遺産富士山(「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」)の構成資産のひとつ。往古には富士山東口の社。大永4年(152…
社伝によれば日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の際に創建と伝わる古社が静岡県裾野市須山の須山浅間神社で、世界遺産富士山(「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」)の構成資産のひとつ。往古には富士山東口の社。大永4年(152…
全国に散らばる1300余りの浅間神社の総本宮で、世界遺産富士山(「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」)の構成資産の中核的な存在。祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと=浅間大神)。富士山自体がご神体で、山頂に奥宮が…
世界遺産「富士山‐信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の富士山本宮浅間大社。徳川家康造営の社殿が残されていますが楼門もそのひとつ。2階建て入母屋造り(いりもやづくり)で、正面と両脇に扉が付いています。さらに楼門の左右には慶…
世界遺産「富士山‐信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産になっている、富士山信仰の中心、富士山本宮浅間大社。本殿へと続く拝殿・幣殿は、本殿同様に駿府隠居の前年の慶長9年(1604年)、徳川家康が造営したもの。本殿と拝殿をつな…
富士山の正式な山頂は最高点の剣ヶ峰(3776m)ですが、それ以外にも山頂火口(大内院)を取り囲む剣ヶ峰を含める8つのピークの八神峰があり、さらに各登山口の山頂も「〇〇口山頂」と称しています。富士山スカイラインの終点から登…
日本の最高峰、富士山の最高地点が標高3776mの剣ヶ峰。かつてはレーダードームがあり、新幹線の車窓などからも視認できましたが、現在は富士山特別地域気象観測所が設置されています。
韮山代官の江川英龍(えがわひでたつ=江川太郎左衛門)が伊豆国韮山(現・伊豆の国市)に建造した、日本最初の溶鉱炉が韮山反射炉。黒船の来航による国防の重要性から、大砲を鋳造するためのに造られたもので、高さ15.8mのレンガ造…
日本初の近代的な工場群である「集成館」を仙巌園内に設けた薩摩藩主・島津斉彬(しまづなりあきら)ですが、藩の富国強兵、そして外国船への備えから嘉永4年(1851年)、オランダの技術書の翻訳書を参考に西欧の鋳造技術を導入し、…
高野山金剛峯寺(こうやさんこんごうぶじ)の西端に位置する高野山山内の正門(総門)が大門(だいもん)。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産のひとつ。門が築かれたのは平安時代の末で、それ以前は九折谷(つづらおりだに)…
高野山に数ある塔頭(たっちゅう)寺院の中で、唯一、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産となるのが金剛三昧院(こんごうさんまいいん)。建暦元年(1211年)、源頼朝の菩提を弔うために北条政子が創建。当初は禅定院と称…
真言宗醍醐派総本山・醍醐寺。「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録されていますが、もともとは上醍醐と呼ばれる山深い醍醐山頂上一帯を中心に、修験者の霊場として発展してきたのです。一般に醍醐寺として知られる下醍醐から徒…
識名園は、1799年に造営された琉球王家最大の別邸。国王一家の保養のほか、中国皇帝の使者である冊封使(さっぽうし)の接待にも利用された場所です。国の特別名勝に指定され、世界文化遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成…
首里城近くにある玉陵(たまうどぅん)は、琉球王家の陵墓で、琉球王・尚真が父・尚円王(しょうえんおう)の遺骨を改葬するため、1501年に創建されたと伝えられています。2つのアーチ式の石門の中に、沖縄独特の屋根が付いた破風墓…
守礼門後方にある御嶽(うたき=琉球信仰の聖地)で、その前に拝所である石門が築かれており、それが園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)。琉球王府の行事「東御廻り」(あがりうまーい=拝所を巡礼する行事)の第1番目の拝所…
沖縄本島うるま市、勝連半島のつけ根に近い南風原(はえばる)に建ち、平成12年12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に指定されたグスク(城)のひとつが勝連城(かつれんぐすく)。12〜13世紀頃、勝連按司(…
座喜味城(ざきみぐすく)は、沖縄本島中部の読谷村(よみたんそん)の小高い丘の上に位置し、15世紀の初めに、護佐丸按司(ごさまるあじ)が築城した城(グスク)。一帯は座喜味城跡公園として整備され、「続日本100名城」に選定さ…
1879年に沖縄県が誕生するまで長期にわたり琉球王国の中心だった王宮が首里城(しゅりじょう)。那覇市内では最も高い琉球石灰岩でできた丘陵地に建ち、東西約400m、南北約270mもの石垣に囲まれた城内には、10ほどの御嶽(…
首里城で歓会門(かんかいもん)が正門であるのに対し、「喜び誇る」の意から「ほこり御門(うじょう)」という別名のある久慶門(きゅうけいもん)は通用門として使われていた門で、おもに女性が出入りしていました。琉球王国の国王が寺…