東口本宮冨士浅間神社(須走浅間神社)

富士山の東麓、静岡県小山町須走の須走口登山道起点に鎮座する浅間神社が富士山東口本宮冨士浅間神社(須走浅間神社)で世界遺産富士山(「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」)の構成資産のひとつ。延暦大噴火(800年〜802年)の際には国司・郡司による富士の噴火を鎮める祭祀が行なわれた地で、大同2年(807年)に社を創建。

須走口にある古社で世界遺産の構成資産

富士山東口本宮冨士浅間神社(須走浅間神社)
富士山東口本宮冨士浅間神社(須走浅間神社)

空海修行の地という伝説もあり、中世には弘法寺浅間宮と称し、須走口9合目の迎久須志之神社(江戸時代には薬師堂)、6合目・胎内神社、5合目・古御岳神社(4合目・御室浅間神社、2合目・雲霧神社を合祀)は末社。

駿河国と甲斐国を結ぶ交通の要所の須走村(現・小山町須走)に位置し、東口登山道(須走口登山道)の本宮。
富士講の全盛時代には須走集落は、富士登山の宿場として繁栄しましたが、その中心となったのが浅間神社(神仏習合時代には弘法寺浅間宮)です。
宝永4年(1707年)の宝永大噴火によって須走村がほぼ全壊全焼という壊滅的な打撃を受け、神社も倒壊。
現存する本殿・幣殿・拝殿が一体となった権現造りの社殿、随神門は、宝永噴火直後の再建。

境内には浅間の杜、富士講の講碑群、信しげの滝などもあり凛とした環境が守られています。
社務所の2階は資料館にもなっていて、入館希望者は社務所に申し出る仕組み(見学は無料)。

須走は、昭和9年6月2日〜3日に中西悟堂が北原白秋、金田一京助、柳田國男、荒木十畝を招いて日本で最初の探鳥会(バードウォッチング発祥の地)を開催した場所でもあり、境内には日本野鳥の会記念碑も立っています。

富士山東口本宮冨士浅間神社(須走浅間神社)
富士山東口本宮冨士浅間神社(須走浅間神社)
江戸時代に続いた須走VS富士宮(本宮)の争い
富士山の山頂火口に投げ入れられる内院散銭も村山、須走、大宮の三社で分け合い、各登山道入口の浅間神社はそれぞれの登山道の山役銭を徴収管理していました。
元禄16年(1703年)には、散銭や薬師堂(現・久須志神社)の管理などの権利を巡って、東口本宮冨士浅間神社の神主や御師らが、浅間大社の大宮司富士信安を寺社奉行に訴え出るという「元禄の争論」も勃発。
さらに安永元年(1772年)には、須走村が山頂の支配権は須走(東口本宮冨士浅間神社)の支配にあるとして富士宮の浅間大社を訴える「安永の争論」も起こり、勘定奉行・町奉行・寺社奉行のいわゆる三奉行による裁許の結果、富士山八合目より上部は富士山本宮浅間大社(富士宮)のものと定められました。
須走にとっての不本意な決定は、富士山本宮浅間大社の社殿を徳川家康が寄進するなどもあって、神君・家康の尊崇した富士山本宮浅間大社という忖度(そんたく)があったと推測できます。
ちなみに現在では神社ですが、江戸時代の富士山信仰は寺が神社を管理する神仏習合のスタイルでした。
明治維新の神仏分離、廃仏毀釈で仏堂、仏像はほとんどが破却されています。
東口本宮冨士浅間神社(須走浅間神社)
名称 東口本宮冨士浅間神社(須走浅間神社)/ひがしぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ(すばしりせんげんじんじゃ)
所在地 静岡県駿東郡小山町須走126
関連HP 東口本宮冨士浅間神社(須走浅間神社)公式ホームページ
電車・バスで JR御殿場駅から富士急行バスで約30分
ドライブで 東富士五湖道路須走ICから約800m
駐車場 20台/無料
問い合わせ 東口本宮冨士浅間神社(須走浅間神社) TEL:0550-75-2038/FAX:0550-75-2092
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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