コート盛(先島諸島火番盛)
鎖国体制下の1644年頃、薩摩藩の要請によって、先島諸島各島に設けられた異国船監視の先島諸島火番盛(さきしましょとうひばんむい=遠見番所)のひとつが日本最南端の有人島、波照間島(沖縄県竹富町)にあるコート盛(こーともり)…
鎖国体制下の1644年頃、薩摩藩の要請によって、先島諸島各島に設けられた異国船監視の先島諸島火番盛(さきしましょとうひばんむい=遠見番所)のひとつが日本最南端の有人島、波照間島(沖縄県竹富町)にあるコート盛(こーともり)…
氷見式定置網発祥の地である富山県氷見市大境地区にある洞窟遺跡が大境洞窟住居跡(おおざかいどうくつじゅうきょあと)。大正7年に白山社(白山神社)改築のため海蝕洞の土砂を取り除いた際に人骨・土器・石器を発見。当時の学会で注目…
慶長9年2月4日(1604年3月4日)、徳川家康が我が子・秀忠に命じて江戸・日本橋を起点とする全国の街道沿いに、1里(4km)毎に築かせたのが一里塚。街道の両側に対になって塚を築きその上に木を植えましたが、板橋区の志村一…
国道244号と243号の合流点近くにある史跡。奥行臼(おくゆきうす)という地名は、アイヌ語のウコイキ・ウスで戦闘のあった場所という意味、つまり根室ポロモシリのアイヌと厚岸のアイヌが戦闘した場所。そんな場所に開拓時代に造ら…
札幌方面から千歳方面に国道36号を走り、島松沢にかかる旧道の橋の手前にあるのが、旧島松駅逓所(きゅうしままつえきていしょ)。駅逓脇には、マサチューセッツ農科大学学長から、札幌農学校に招かれたクラーク博士を記念するクラーク…
山形県山形市にある山形藩の藩庁だったのが山形城。山形城の二の丸跡と三の丸跡の一部は国の史跡に指定され、本丸と二の丸跡は霞城公園として整備されています。入口の二の丸東大手門は、市制100周年記念事業の一つとして、史実に従い…
福島県二本松市にある平山城で、畠山氏7代当主・二本松満泰が、1414(応永21)年頃に築城したのが始まり。藩政時代には二本松藩主丹羽氏の居城となり、近世的な天守が築かれたのも丹羽長秀の孫・光重が10万700石で入城した際…
榛名山東南麓に築かれた中世の平山城が、箕輪城(みのわじょう)。東西500m、南北1100m、総面積36haという広大な城で、「日本100名城」にも選定。相模・小田原城が本拠の北条氏康、甲斐・府中(甲府)の武田信玄、越後の…
江戸・日本橋から東照大権現(徳川家康)が祀られる日光まで続く「日光御成道」の、日本橋から2里目にあたる一里塚。徳川時代に設置されたままの往時の場所に残る貴重な一里塚ということで、国の史跡にもなっています。とくに都市化が進…
湯島聖堂では毎年1月1日~4日に『正月特別参観』(特別公開)が行なわれています。大成殿の内部が特別に公開されるもの。また1月1日には『元旦素読初め』(著名な講師の指導で論語を素読)も行なわれます。大成殿内に売店が設置され…
中海に臨む標高90.5mの湊山に築かれた近世の名城で、国の史跡に指定されています。戦国時代末期の1591(天正19)年に吉川広家(きっかわひろいえ)が月山の富田城から城を米子に移し四重櫓を建設したのが始まり。すでに中世的…
706(慶雲3)年、修験道の開祖である役行者が開山と伝えられる三朝町の古刹。849(嘉祥2)年、円仁(慈覚大師)が釈迦如来、阿弥陀如来、大日如来の三尊を安置したので、天台宗の寺、三徳山三佛寺となりました。三徳山(みとくさ…