伊能忠敬記念館
50歳で佐原の商家を隠居して江戸に出て、55歳の蝦夷地測量を手始めに日本最初の実測日本地図を作成した伊能忠敬の記念館。婿入した伊能家の旧宅と川を隔てた反対側に建つ伊能忠敬記念館では、忠敬の人生を年代順に紹介し、その業績で…
50歳で佐原の商家を隠居して江戸に出て、55歳の蝦夷地測量を手始めに日本最初の実測日本地図を作成した伊能忠敬の記念館。婿入した伊能家の旧宅と川を隔てた反対側に建つ伊能忠敬記念館では、忠敬の人生を年代順に紹介し、その業績で…
現在の測定値と比べても驚異的な正確さを誇る、わが国初の全図『大日本沿海輿地全図』(だいにほんえんかいよちぜんず)。製作者の伊能忠敬(いのうただたか)は、17歳のとき佐原の酒造家・伊能家の婿養子に入り、50歳で隠居し江戸へ…
大山ケーブルの中間駅「大山寺駅」にある大山不動尊(雨降山大山寺)は、成田山新勝寺、高幡不動尊金剛寺と並んで関東三大不動のひとつに数えられる真言宗大覚寺派の大本山。天平勝宝7年(755年)開山の古刹で、神仏習合時代から真言…
「国譲り神話」の聖地として伝えられるのが出雲市大社町の稲佐の浜。『古事記』にも神々により国譲りの話し合いが行なわれた場所と記されています。今も旧暦の10月10日(新暦の11月14日頃)、夜7時から出雲に集まる神々を迎える…
戦国時代には、信濃川河口右岸の蒲原津、阿賀野川河口(現・通船川河口)右岸の沼垂湊(ぬったりみなと)、信濃川河口左岸の新潟津が「三か津」と総称されていましたが、江戸時代には新潟津が北前船の寄港地として、さらに長岡藩の外港と…
明治時代の大商家、斎藤家の邸宅の一部(明治40年代の建築物と推定)を、東堀通7番町から白山公園内に移築復元したのが燕喜館。奥座敷、前座敷、居室、茶室は、茶道や俳句などの伝統的文化活動に有料で利用できるほか、利用されていな…
江戸時代から明治30年代まで、江差で廻船問屋を営み松前藩きっての豪商だったのが関川家。関川家は初代・関川与左衛門が天和年間(1681年~1684年)に越後国頚城郡関川村(現在の新潟県妙高市関川)から松前城下に移って醸造業…
江戸時代に松前藩が交易を認めた湊は、江差、松前、箱館(函館)の3ヶ所。江差以北の産物は、明治3年に北前船が小樽まで延伸されるまで、江差に集中して集まることになり江差の湊には廻船問屋が軒を連ねました。その1軒が旧中村家住宅…
織田信長は、清洲城から小牧山城に居城を移し美濃攻略を狙います。そして美濃の稲葉山城を攻め落とすと、岐阜と名を改め、城と城下町を築きます。稲葉山(金華山)の山麓に庭園などを配した居館を設け、ここを「天下布武」の出発点とした…
富山の港町の東岩瀬は、かつて北前船の交易で栄えた港町。大町通り(旧北国街道)に面した北前船廻船問屋森家は、明治11年築の代表的な廻船問屋(商家)で、栄華を極めた往時の面影を残した重厚な建物。建築には3年の歳月を費やしたと…
倉吉から東へ車で約30分。 「三徳山三佛寺」(さんとくさんみぶつじ)は、飛鳥時代の706年に役行者(えんのぎょうじゃ)が開いた山陰屈指の古刹。
国宝投入堂で知られる三徳山三佛寺。三朝温泉(みささおんせん)とともに日本遺産に登録される霊山で、「日本一危険な除夜の鐘」も話題です。鳥取県中部地震の影響で中止となっていましたが、2019年3月に整備を終え、4月1日に開山…
お魚センターみくりやの後は、車で8分ほどのところにある、JR西日本・山陰本線の「御来屋(みくりや)」駅へやって来ました。
706(慶雲3)年、修験道の開祖である役行者が開山と伝えられる三朝町の古刹。849(嘉祥2)年、円仁(慈覚大師)が釈迦如来、阿弥陀如来、大日如来の三尊を安置したので、天台宗の寺、三徳山三佛寺となりました。三徳山(みとくさ…
世界有数のラドン含有量を誇る三朝温泉は、平清盛が隆盛を極めた平安時代にまで遡る歴史の古い温泉。ラドン含有量を誇る温泉の多くは冷泉(低温)ですが、ここは高温で湧出する世界的にも珍しい存在になっています。温泉街のシンボル、三…
大山寺本堂前にある宝牛は、牛の霊を慰めるために鼻ぐりの銅をもって鋳造された牛の銅像。岡山県岡山市の宗教団体「福田海」が寄進したもので、一つの願いだけを心に念じてこの牛を撫でると願いが叶うという「撫で牛」になっています。
大山寺支院10ヶ院のひとつ。1807(文化4)年、画僧嗒然(とうぜん、法名は台貫)が住職となり、1846(弘化3)年に『大山雑考』を編纂、多くの書画を残しました。平成21年に再建された建物は、天井画110枚が『ゲゲゲの鬼…
大山寺に現存する堂宇のなかでは最古の建物。平安時代に円仁(慈覚大師)が創建と伝えられ、当初の建物は1529(亨禄2)年の山津波で倒壊。現在の建物は1552(天文21)年の再建で、国の重要文化財。本尊は丈六(2.79m)の…