二条城・本丸櫓門
京都府京都市中京区、世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産のひとつ、二条城。その二条城の本丸の正門が、本丸櫓門。二の丸から内堀を東橋で渡ると、東に向いて建てられた本丸櫓門があります。寛永3年(1626年)、徳川家光が造営…
京都府京都市中京区、世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産のひとつ、二条城。その二条城の本丸の正門が、本丸櫓門。二の丸から内堀を東橋で渡ると、東に向いて建てられた本丸櫓門があります。寛永3年(1626年)、徳川家光が造営…
大阪府大阪市中央区、大阪城公園にある重要文化財(10棟)に指定される徳川時代の遺構のひとつが、金明水井戸屋形。本丸にある復興天守「大阪城天守閣」の横、小天守台にある井戸で、昭和44年の解体修理の際、天守と同じ寛永3年(1…
大阪府大阪市中央区、大阪城公園となっている大坂城本丸跡で、小天守台上の金明水井戸屋形とともに国の重要文化財に指定される江戸時代の遺構が、金蔵(きんぞう・かねぐら)。その名の通り、徳川幕府の金貨・銀貨の保管庫で、宝暦元年(…
大分県竹田市にある天神山に築かれた梯郭式山城が、岡城(豊後竹田城)。岡藩(竹田藩)の藩庁にもなった城域は、東西2500m、南北362mにも及び、石垣などの遺構が残され国の史跡になっています。その中心となる曲輪(くるわ)が…
愛知県名古屋市中区、国の特別史跡に指定される名古屋城。本丸の天守横、天守台脇に設置されたエレベータの横から北側に抜ける場所に位置する門が、不明門(ふめいのもん)。「常に鎖して開かず」から不明門(あけずもん)という意味で、…
愛知県名古屋市中区、国の特別史跡に指定される名古屋城。本丸の東に位置する搦手(からめて=裏門)にあたる枡形門が、本丸東一之門(内門)・東二之門(外門)。本丸東二之門部分に移築されているのが旧二之丸東二之門で、もともとは二…
愛知県名古屋市中区、国の特別史跡に指定される御三家・筆頭、尾張藩の藩庁だったのが名古屋城。本丸の大手(正門)にあたる枡形門が、本丸表二之門と本丸表一之門。表二之門は現存していますが(国の重要文化財)、表二之門をくぐった先…
愛知県名古屋市中区、国の特別史跡、そして日本三名城にも数えられる名古屋城。本丸の東側、搦手(からめて=裏口)にあたるの門の跡が、本丸東一之門跡。外側の東二之門とともに枡形門を形成していていましたが、昭和20年の空襲で、天…
愛知県名古屋市中区の特別史跡に指定される名古屋城・本丸にある櫓(やぐら)のひとつが、東南隅櫓。藩政時代に本丸に3ヶ所あった隅櫓のうち、北東隅櫓の丑寅隅櫓(うしとらすみやぐら)は名古屋空襲で焼失していますが、東南隅櫓、西南…
愛知県名古屋市中区、名古屋城の本丸東二之門を入った正面にある八畳敷という巨石が、清正石。天下普請(てんかぶしん)で名古屋城を築城する際、築城の名手である加藤清正が運んだ石と伝えられることから清正石のながあります。ただしこ…
埼玉県川越市にある川越城・三の丸跡(八幡曲輪跡)に建つ県立川越高校の校庭南にあるのが、川越城・富士見櫓跡。こんもりとした鎮守の森のように見える一画に建っていたのが、富士山を眺望できたことが名の由来という富士見櫓。代用天守…
鹿児島県鹿児島市城山町、島津氏の居城、鹿児島城(鶴丸城)の正門が御楼門。居館(現在の鹿児島県歴史・美術センター黎明館が建つ場所)の正面中央に御楼門がありましたが、明治6年の火災で焼失。令和2年3月に復元されています。御楼…
佐賀県唐津市にある豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた、当時、大坂城に次ぐ大規模な城跡が名護屋城。天草・島原一揆(島原の乱)で、一揆軍が廃城となっていた原城に籠城したことから、名護屋城も徹底的に破却されましたが、本丸旧石垣は…
豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に、外征基地として築いた城が名護屋城(佐賀県唐津市)。北西に壱岐、対馬の島影を視認し、加部島が防波堤の役割をする地に築いた、当時、大坂城に次ぐ規模の巨城です。その中心で、丘陵の高台に位置し、五層の天…
佐賀県唐津市にある豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に築かれた、当時、大坂城に次ぐ大規模な城跡が名護屋城。三の丸からの入る本丸の玄関口にある最後の関門が本丸大手門。大手口→東出丸→三の丸→本丸大手門と登城し、到達することができます。…
新潟県新発田市(しばたし)にある新発田藩(しばたはん)の藩庁で、外様大名(とざまだいみょう)・溝口家の居城が新発田城。新発田城にはもともと天守がなく、本丸西端の三階櫓がその役目を果たす代用天守として機能していました。現在…
初代新発田藩主・溝口秀勝(みぞぐちひでかつ)が慶長3年(1598年)に築城した新発田城(しばたじょう/新潟県新発田市)。辰巳櫓(たつみやぐら)は本丸南東(辰巳)の位置に建つ2階建ての櫓。平成16年に古来の手法で復元された…
高い石垣で囲まれた小田原城本丸の正面に位置するのが常盤木門。本丸の出入は東の常盤木門と北側の鉄門(くろがねもん)という2つの門を使用していましたが、常盤木門が大手側(正門)にあたり、重要な防御拠点であったために、他の門と…