徳川家康ゆかりの城 11城
岡崎城(愛知県岡崎市)に生まれ、幼少期には人質生活を送り、戦乱の世を生き抜き、ついに江戸に徳川幕府を開いた徳川家康。大河ドラマ『どうする家康』のタイトルどおり、波乱万丈、危機一髪が連続する人生ですが、ゆかりの城、転機とな…
岡崎城(愛知県岡崎市)に生まれ、幼少期には人質生活を送り、戦乱の世を生き抜き、ついに江戸に徳川幕府を開いた徳川家康。大河ドラマ『どうする家康』のタイトルどおり、波乱万丈、危機一髪が連続する人生ですが、ゆかりの城、転機とな…
旧国では県の西部が遠州、東部が駿河と伊豆に分かれる静岡県。戦国時代には今川氏の領有ですが、今川家滅亡後に徳川・武田の激戦地に。日本100名城の駿府城、掛川城、山中城、そして続日本100名城選定の興国寺城、諏訪原城、高天神…
静岡市葵区、大御所となった徳川家康の居城、駿府城の本丸と二の丸跡を整備した駿府城公園。その本丸跡、徳川家康公之像近くににあるのが、家康手植のミカン。家康手植の蜜柑(みかん)の名で、静岡県の天然記念物にも指定されています。
慶長10年(1605年)4月16日、徳川家康は、将軍職を我が子・秀忠に譲り、駿府を隠居所に決めて、「大御所政治」を行ないます。慶長12年(1607年)から元和2年(1616年)の間、実質的に駿府城(現・静岡県静岡市)が日…
静岡市街の中心地、駿府城公園は、将軍職を徳川秀忠に譲り大御所時代の駿府城の跡だとされています。全国の大名に命じて(天下普請)築城させたのが現在の駿府城です。それは歴史的事実なのですが、駿府城の天守台跡の発掘調査で、豊臣秀…
上野の寛永寺で謹慎する徳川慶喜は、慶喜護衛のために結成された精鋭隊のトップで旧幕臣の山岡鉄舟に、駿府(すんぷ=現・静岡市)に布陣する官軍・西郷隆盛を訪ねて、恭順の意思を伝えます。その会見が行なわれたのが現在の静岡駅前、上…
静岡市の中心に位置する二重の堀と美しい石垣に囲まれた、静岡市民憩いの場。かつて徳川家康が築城、余生を送った駿府城の跡で、駿府藩の藩庁。府中城や静岡城とも呼ばれています。日清戦争後の明治29年から終戦まで、静岡歩兵第三十四…
慶長12(1607)年、将軍職を2代目・秀忠に譲った家康は隠居して駿府城(静岡市)に暮らします。 東海道の要衝である駿府に暮らすことで、江戸を守るのと同時に、西への睨みをきかしたのです。 人質時代に暮らした住みやすい温暖…
駿府城に居城する大御所(徳川家康)に拝謁する気持ちで、駿府城の本丸を目ざします。 今回はパート2で、二ノ丸から本丸への道のり。 前回、二ノ丸で坤櫓を見学したので、今回は二ノ丸へ東御門から入城します。 三ノ丸大手御門から入…
JR静岡駅前に降り立っても、そこが城下町という雰囲気はありません。 近代的な町並みだからです。 静岡の城下町は昭和15年の静岡大火と、昭和20年の空襲で大御所ゆかりの美しい家並みは失われてしまいました。 面影が残るのは、…
徳川家康は生涯のうち、3回駿府城に天守を建てています。 最初に駿府に来たときは、天文16年(1547年)、今川氏全盛期である9代・今川義元の時代。家康も松平竹千代という幼名を名乗っています。 人質として6歳から19歳まで…
慶長10年(1605年)、将軍職を子の徳川秀忠に譲り、駿府に隠居を予定した徳川家康は、天下普請によって駿府城を大修築。 慶長12年(1607年)には駿府城を居城として「大御所政治」が始まります。 駿府城は、名目上は徳川頼…