日光東照宮・奥社

日光東照宮・奥社

日光東照宮は、徳川家康の廟所として築かれた神仏習合の霊山。まずは久能山に祀り、その後、日光山に改葬という家康の遺言を受け、天台宗の天海大僧正の主張(山王一実神道で祀る)で東照大権現として祀られましたが、その墓所が日光東照宮・奥社。坂下門から続く石畳の奥に拝殿・鋳抜門(いぬきもん)・御宝塔からなる奥社があります。

久能山から改葬された家康の墓所

元和2年4月17日(1616年6月1日)、徳川家康が駿府城(現・静岡市)で死去すると、天海大僧正の意見が通り、7月13日、家康の神号が「権現」に勅定されます。
天海は「亡君豊国大明神のちかきためしを覚して・・・」と明神として祀られた豊臣秀吉(豊国大明神)の悲惨な末路を引き合いに出し、「権現」号を主張したのです(『東叡山寛永寺元三大師縁起』)。
以心崇伝(いしんすうでん)は明神を主張して対立しますが、2代将軍・徳川秀忠による裁定で「権現」号に決定。
幕府は朝廷に神号を奏請し、朝廷からは東照大権現、日本(ひのもと)大権現、威霊(いれい)大権現、東光大権現の4案が提示され、幕府は東照大権現を選定、家康の神号が決定したのです。

元和3年1月22日(1617年2月27日)、日光東照社(現・日光東照宮)仮殿遷宮並びに居礎日時定の陣儀が行なわれ、3月15日、徳川家康の霊柩が久能山を出発。
4月4日、東照社が日光山に遷座し、日光東照社が竣工しています。

元和8年(1622年)、奥院宝塔(現在の奥社宝塔)と石垣の造営が竣工し、東照社七回神忌に徳川秀忠が参拝しています。
その後、徳川家光が東照宮の寛永造替を行なっていますが、最初からあったのが現在の奥社(当時は奥院)ということになります。

奥社宝塔、拝殿などすべてが国の重要文化財

奥社宝塔は元和8年(1622年)創建ですが、寛永18年(1641年)に石造に改められ、天和3年(1683年)の地震での倒壊後、現在の椎名良寛(江戸の著名な鋳物師)制作の唐銅製(金・銀・銅の合金)になっています。
塔の前には鶴の燭台、唐獅子の香炉、そして花瓶が配されるという豪華なもの。
石敷きに勾配があるのは雨水の流入を防ぐためで、当時の技術の粋が集められています。

現存する銅鳥居は天和3年(1683年)、5代将軍・徳川綱吉の寄進で、扁額は後水尾天皇の勅筆(創建当初は石造りの鳥居でしたが地震で倒壊)。
銅鳥居の脇に建つ銅神庫(どうじんこ)には、明治初年の神仏分離以前(神仏習合時代)、朝廷から贈られた官符宣命などの文書を収蔵していました(当時の名称は宝蔵)。
拝殿は、東照大権現を祈りを捧げるために歴代将軍が座る場所で、寛永13年(1636年)の再建。

拝殿横の社務所では奥社限定の「叶鈴守」を授与してくれるほか、御朱印を頂くことも可能。

奥社宝塔、奥社唐門、奥社石玉垣、奥社拝殿、奥社銅神庫、奥社鳥居、奥社石柵は、国の重要文化財。

ちなみに奥社拝殿・宝塔へと続く石段は、一枚岩を加工したもので、石柵は一枚岩をくりぬいています。
豪華な造りですが、実は経年による劣化での石段の歪みなどを防止するための対策にもなっているのです。

東照宮の奥社宝塔は、昭和40年の東照宮350年祭を機に公開されたもので、それ以前は非公開とされていた神聖な場所です。

日光東照宮・奥社
名称 日光東照宮・奥社/にっこうとうしょうぐう・おくしゃ
所在地 栃木県日光市山内2301
関連HP 日光東照宮公式ホームページ
電車・バスで 東武日光駅から東武バス世界遺産めぐりで勝道上人像前下車、徒歩15分
ドライブで 日光宇都宮道路日光ICから約3km
駐車場 100台/有料
問い合わせ 日光東照宮社務所 TEL:0288-54-0560/FAX:0288-54-0061
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
久能山東照宮・神廟(家康墓所)

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