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摩利支天塚古墳

摩利支天塚古墳

栃木県小山市にある墳丘長117mの前方後円墳が摩利支天塚古墳(まりしてんづかこふん)。吾妻古墳 (栃木県栃木市/6世紀後半・127.85m)、琵琶塚古墳 (摩利支天塚古墳のすぐ北側に隣接/6世紀初頭・123m)に次いで栃木県第3位の巨大古墳。隣接する琵琶塚古墳の直前に築かれた下毛野地域を代表する首長墓だと推測できます。

下毛野地域を代表する首長墓

墳丘は2段築成で、前方部の中央が尖る剣菱形の古墳。
古墳の形状や出土した埴輪などから5世紀末の築造と推測され、ヤマト王権の支配を受ける首長墓で、摩利支天塚古墳に続いて琵琶塚古墳が築かれたということがわかります。
後円部墳頂には天台宗台林寺に附属する摩利支天社が鎮座し、古墳名の名の由来に。

古代、下毛野の中心がこの地にあり、律令制度の始まった奈良時代(下野国庁、下野国分寺、下野国分尼寺の設立=現・下野市)から平安時代の中期ころまで、この一帯に古代下野国の中心があったのです。
下野市では一帯を「東の飛鳥」としてPR中。

名称 摩利支天塚古墳/まりしてんづかこふん
所在地 栃木県小山市飯塚362
関連HP 小山市公式ホームページ
電車・バスで JR小金井駅からタクシーで8分
ドライブで 北関東自動車道壬生ICから約12km
駐車場 摩利支天塚・琵琶塚古墳資料館駐車場を利用
問い合わせ 小山市文化振興課 TEL:0285-22-9669
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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