栃木県下都賀郡壬生町(みぶまち)にある江戸時代に壬生藩の藩庁だった城が、壬生城(みぶじょう)。もともとは寛正3年(1462年)、壬生綱重(みぶつなしげ)が築城した中世の城館(壬生古城)でしたが、江戸時代初期に、日光社参の際の将軍の宿泊所となったことから、書院造りの御殿が建築されていました。
江戸時代初期には日光社参の将軍の宿所になった城
天守や櫓はなく、比較的簡素な作りの城郭でしたが東照大権現(徳川家康)が眠る日光東照社(後の日光東照宮)への将軍の社参の帰途、壬生城が宿館となったため、壬生城本丸内に書院造りの御殿が築かれました。
造営をきっかけになったのは、元和3年(1617年)4月、2代将軍・徳川秀忠が、完成した日光東照社に参詣した際、帰途に壬生城で1泊したこと。
天守のない本丸に563坪990畳という壮大な御殿を築き、徳川秀忠が2回(御殿建築前の宿泊を含む)、3代・徳川家光の代に5回、4代・徳川家綱の代に1回、壬生城が宿所となっています。
寛永12年(1635年)、老中の阿部忠秋(あべただあき)が2万5000石で入城し、藩主となっていますが、小藩ながら老中が藩主を務めることからもその重要性がよくわかります。
阿部忠秋の後には三浦家、松平家、加藤家が譜代格で藩主を務めるなど頻繁に藩主が交代しますが、
正徳2年(1712年)、鳥居忠英(とりいただてる)が藩主となってからは、幕末まで鳥居家の治世が続いています。
壬生城跡の東北隅には、壬生藩鳥居氏のルーツ・鳥居元忠を祭神とする精忠神社が建っていますが、関ヶ原の戦い直前の伏見城籠城戦の際、鳥居元忠が討ち死した時に血に染まった畳が江戸時代を通じて江戸城で保管され、それを祀った「畳塚」も築かれています。
壬生城は明治初年に建物はもちろんのこと本丸を残して堀や土塁も破却され、その姿を留めていません(農地や宅地に転換)。
本丸の跡のみ壬生町城址公園として整備され、本丸南側の土塁や堀は平成元年の整形で、往時のものではありません。
壬生町城址公園内には「壬生町立歴史民俗資料館」があり、江戸時代末期の姿を想定した壬生城模型などで往時を学ぶことができます。
ちなみに下野国(しもつけのくに)・栃木県には、譜代大名ながら小藩の宇都宮藩、烏山藩、壬生藩など10藩が配置され(最大の宇都宮藩でも9万1000石です)、しかも藩主が目まぐるしく代わるという特徴がありました。
東北地方の外様大名の反乱に備えた「北の守り」の役目を担ったいたための処置ともいわれていますが、壬生藩も例外ではなく、鳥居家が入るまではしばしば藩主が交代していました。
壬生城 | |
名称 | 壬生城/みぶじょう |
所在地 | 栃木県壬生町本丸1-8-33 |
関連HP | 壬生町観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | 東武鉄道壬生駅から徒歩15分 |
ドライブで | 北関東自動車道壬生ICから約6km |
駐車場 | 100台/無料 |
問い合わせ | 壬生町観光協会 TEL:0282-81-1844 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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