神田川に架かる橋。江戸時代には上流の水道橋まで橋はなく、駿河台と本郷台は深い峡谷だったため、この橋は神田川を渡る重要な橋になっていました。現在の橋は大正時代架橋のコンクリートアーチ橋。照明なども往時のままに復元され、千代田区景観まちづくり重要物件に選定されています。
現在の橋は昭和初年に拡幅・大改修されたもの
最初の架橋は、寛永年間(1624年~1644年)。
神田川沿いの相生坂の坂下にあるため相生橋、淡路坂の坂上に一口稲荷社(いもあらいいなりしゃ/現・太田姫稲荷神社)があり、一口坂(いもあらいさか)の入口に位置するため芋洗橋と呼ばれていました。
1691(元禄4)年、徳川綱吉が上野から聖堂(孔子廟)を湯島に移し(現在の湯島聖堂)、孔子の故郷・昌平郷から昌平坂、昌平橋の名が生まれました。
江戸時代には木橋のため、度々、流出していました。
明治維新後、相生橋と改めましたが、明治6年の洪水で流されてしまいました。
明治11年、現在の万世橋付近に土瀝青(天然アスファルト)を使用した「日本最初のアスファルト舗装」の有料橋「昌平橋」が架けられました。架橋したのは小名木川に50トンの外輪蒸気船「利根川丸」を運航する利根川丸商会社長の高橋次郎左衛門。深川・万年橋を基地に、新川、江戸川を通り、関宿から利根川に入り、栗橋を結んだのが「利根川丸」です。
明治33年、従来の相生橋・昌平橋の場所に東京市が昌平橋と命名した橋を架橋したことで有料橋の昌平橋は「新萬世橋」と名を変えました。現在の橋は、大正12年4月架橋、昭和3年12月8日に大改修したもので、長さ22.7m、幅30.1m、コンクリ-トアーチ橋。
昭和58年の昌平橋整備工事で、創建時の高欄、照明が復元され、レトロな雰囲気を醸し出しています。
浮世絵に見る昌平橋
江戸切絵図に見る昌平橋
昌平橋 | |
名称 | 昌平橋/しょうへいばし |
所在地 | 東京都千代田区神田淡路町1丁目・外神田1丁目 |
電車・バスで | JR御茶ノ水駅聖橋口から徒歩3分。JR秋葉原駅電気街口から徒歩8分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
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