重要文化財 八幡橋(旧弾正橋)

江東区富岡の八幡堀遊歩道にかかる人道橋。八幡堀の八幡とは、富岡八幡宮のこと。富岡八幡宮の東に流れる運河が八幡堀です。現在は埋め立てられ八幡堀遊歩道となっていますが、旧掘割を利用した遊歩道の凹部に架けられたのが八幡橋です。鉄橋としては日本最古のもので、国の重要文化財に指定されています。

日本で初めて米国土木学会から「土木学会栄誉賞」受賞

この八幡橋、もともとは、明治11年、東京市京橋区(現・中央区)の楓川(現在、川は埋め立てられ首都高速都心環状線が通っています)に架けられた弾正橋。アメリカ人技師スクワイヤー・ウイップル(Squire Whipple)の発明した特許(1840年に特許を取得)をベースにして、工部省赤羽分局が製作、架橋した「文明開化のシンボルのような橋」なのです。
設計は明治初年にアメリカに留学して工学を学んだ松本荘一郎。

現在、「鉄橋」といえば鋼(はがね=強度を高めた鉄合金)でできていますが、この橋は純粋な鉄製のトラス橋です。
専門的にいえば、アーチ材を鋳鉄製、引張材は錬鉄製という鋳錬混合の独特な構造手法で、鋳鉄橋から錬鉄橋にいたる過渡期の鉄橋として非常に価値が高い文化財として、昭和52年に国の重要文化財に指定されています。
さらに、平成元年には、アメリカ人技師スクワイアー・ウイップルの特許を基本とし、さらに、アメリカ本土においてもこの形式のボーストリングトラス(Bowstring Truss)橋が少ないことから貴重な文化遺産として認められ、日本で初めて米国土木学会から「土木学会栄誉賞」が贈られています。

初代の木製の橋が架橋された江戸時代初期に、東詰に2代目南町奉行を務めた島田弾正の邸宅があったため、弾正橋と名付けられました。

明治11年に架橋の八幡橋(旧弾正橋)は、橋長15.76m(8間2尺)、幅員9.1m(5間)というトラス橋。明治11年ということで、まだ馬車の往来程度しか想定していない幅しかありません。
ピンの接合部に菊の紋形の花弁装飾が施されていることにも注目を。

大正12年の関東大震災当時までは現役でしたが、関東大震災の復興計画で、廃橋となり、昭和4年に八幡堀に移設されました。
移設当時は八幡堀は運河で、昭和30年代ころには傍らに材木問屋が並び、運河にも巨木が浮かんでいました。
現在、八幡堀遊歩道・富岡八幡宮周辺は、深川門前仲町景観重点地区に指定され、昔ながらの情緒が残されています。

アメリカ「土木学会栄誉賞」のレリーフ
ピンの接合部に施された菊紋の花弁装飾
欄干の橋名は現在の八幡橋に
松本荘一郎
1848(嘉永元)年、播磨国神東郡粟賀村(現・兵庫県神崎郡神河町)生まれ。明治3年、アメリカに留学し、7年滞在して工学を学習。帰国後は東京府御用掛として土木事務を担当し、東京大学工学科教授を務めました。明治12年、開拓使御用掛となり、石狩川河口改良などの北海道開拓期の事業を手がけています。明治17年に東京に戻ると、全国の鉄道敷設計画を担当し、晩年は鉄道局長と務めています。
重要文化財 八幡橋(旧弾正橋)
名称 重要文化財 八幡橋(旧弾正橋)/じゅうようぶんかざいはちまんばし(きゅうだんじょうばし)
所在地 東京都江東区富岡1丁目・2丁目
電車・バスで 東京メトロ東西線門前仲町駅から徒歩3分。都営地下鉄大江戸線門前仲町駅から徒歩6分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
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