帰全山公園

帰全山公園

高知県長岡郡本山町にある高知県立白髪山公園の一部となるのがが、帰全山公園(きぜんざんこうえん)。4月中旬〜5月初旬頃には、シャクナゲが咲き誇り別名をシャクナゲ公園とも。江戸時代初期の高知藩の執政(家老)を・野中兼山が母・秋田万のために築いた墓、そして野中兼山の銅像もあります。

野中兼山の銅像野中兼山が母・秋田万の墓がある自然公園

帰全山の名は、中国の経書のひとつ『孝経』(こうきょう)にある孔子から曽子へ、曾子から楽正子春へと伝えられた「父母全而生之、子全而帰之。可謂孝笑」(父母は誠実に心を持って子を産んでいる。子は誠意をもってこれに報いる)に由来しています。

野中兼山が母・秋田万(野中良明の妻、京に生誕、33歳で良明と死別、旧姓が秋田万)は、慶安4年(1651年)に66歳で高知城下に没。
当時、本山は野中兼山が領有していたため、高知から本山まで、7里(約27.5km)の道を母の棺(ひつぎ)とともに歩き、帰全山に葬った後(当時の土佐の風習に反して、儒教的に土葬にしています)、3年間の喪に服したのです。

墓所の穴は、1000人とも伝えられる人々によって掘られ、穴の壁は石で組むという大土木工事を実施。
その上に高さ6尺5寸(1.8m)、幅2尺5寸(0.75m)、厚さ1尺(30cm)の石碑ののせ、柵を巡らせ屋根を築くという立派なもの。

野中兼山は山田堰(現・香美市)を築いての新田開発、柏島(現・大月町)に柏島石堤を築くなどの港湾整備、さらに和紙の材料となる楮(こうぞ)栽培、鰹節づくりを奨励するなど、藩政改革に尽力しますが、過酷な税と使役で庶民や藩内に怨嗟を生み、失脚。
野中兼山自身は、26年の歳月を費やして完成したという、思い入れが強い山田堰(現・香美市土佐山田町)の工事指揮所近くの「明夷軒」に蟄居しましたが、3ヶ月後に吐血して死去。
一族は、男系の子孫が絶えるまで宿毛に幽閉されています。
儒教の教えで、母思いの墓所を築いたのかもしれませんが、庶民の負担も大きく、この帰全山の墓所も、失脚の遠因になっているのです。

帰全山は、野中家断絶後も有志による祭祀が続き、明治維新とともに土佐藩の手を離れ、個人所有の土地となりましたが、明治38年に当時の本山村が買収し、日露戦争記念帰全公園として整備されたのが公園としての始まり。
公園内に茂るシャクナゲは、地元に自生するシャクナゲを町内の篤志家が移植したもの。

兼山廟(霊廟)と兼山館は、有志が発起人となって昭和15年に建立が決まり、昭和27年に完成した野中兼山の廟所。

本山町にある大原富枝文学館は、野中兼山とその娘・娘・野中婉(土佐藩の女医)の話を描いた『婉という女』で知られる大原富枝の文学館。
大原富枝は、大正元年、高知県長岡郡吉野村(現・本山町)に生誕しています。

帰全山公園に隣接して「モンベルアウトドアヴィレッジ本山」があり、モンベルストア、コテージ、土佐れいほくの湯、レストラン、ビジターセンターが整備されています。

帰全山公園
名称 帰全山公園/きぜんざんこうえん
所在地 高知県長岡郡本山町本山
関連HP 本山町公式ホームページ
ドライブで 高知自動車道大豊ICから約10km
駐車場 帰全山公園駐車場(6台/無料)
問い合わせ 本山町観光協会 TEL:0887-76-4187
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
野中兼山像

野中兼山像

高知県長岡郡本山町の帰全山公園(きぜんざんこうえん)に立つのが、野中兼山像(のなかけんざんぞう)。高知平野の水田開発、築港整備などで辣腕を発揮した高知藩の執政(家老)、野中兼山の銅像が帰全山公園に立つのは、公園に野中兼山の母・秋田万(あきた

大原富枝文学館

大原富枝文学館

高知県長岡郡本山町本山にあるミュージアムが、大原富枝文学館。大正元年、高知県長岡郡吉野村(現・本山町)に生まれた小説家で芸術院会員だった大原富枝。生原稿など貴重な資料の展示に加え、代表作『婉という女』(第14回毎日出版文化賞、第13回野間文

 

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