江戸城 大手三の門跡(皇居東御苑)

江戸城登城の正面玄関である大手門を入ると江戸城三の丸。三の丸から濠(ほり)に架かった下乗橋を渡ると二の丸入口に大手三の門がありました。下乗橋の手前は広々とした空間で同心番所があり、大名のお供の者の監視をしていました。現在、大手三の門の石垣だけが現存し、下乗橋の架かった濠も埋め立てられて、往時の雰囲気を失っています。

二の丸入口を守る重要な門

江戸城 大手三の門跡(皇居東御苑)
渡櫓門の土台となった石垣と百人番所

大手門から内部は、現在、皇居東御苑として公園化されています。
大手門から三の丸尚蔵館の前を過ぎた正面のところに大手三の門跡の石垣があり、三の門跡の内側には同心番所が移設されています(往時には門の外にありました=下の古地図を参照)。
かつては門の前に濠があって三の丸と二の丸を分けていました。

大手三の門も本来は大手門同様の枡形門(外側に高麗門、内側に渡櫓門)で、両側は水濠という難攻不落の構造でした。
下乗門ともいうのは、この先の二の丸へ駕籠(かご)に乗って入城できるのは、尾張藩、紀州藩、水戸藩の「徳川御三家」の藩主だけだったからです。御三家以外の大名はここで駕籠を降りなければならなかったため、「下乗」の高札が立てられていました。
この高札が、下馬評という言葉を生んでいます。

大手三の門の先、中之門までは広い通路が続いていました。

皇居東御苑地図と古地図に見る大手三の門

下馬評

下馬橋のたもとの下馬先広場(「下乗」の高札が掲示)で藩主の下城を待つ供の者たちが、江戸城内幕閣など大名の出世話などを評価・議論したことに由来する言葉

皇居東御苑地図と古地図に見る大手三の門
皇居東御苑地図と古地図に見る大手三の門
江戸城 大手三の門跡(皇居東御苑)
江戸城 大手三の門跡(皇居東御苑)
天守閣があった時代の大手三の門は、渡櫓門がその後と反対方向に
江戸城 大手三の門跡(皇居東御苑)
名称 江戸城 大手三の門跡(皇居東御苑)/えどじょうおおてさんのもんあと(こうきょひがしぎょえん)
所在地 東京都千代田区千代田1-1
関連HP 宮内庁公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ・都営地下鉄大手町駅から徒歩6分。東京メトロ竹橋駅から徒歩10分、JR東京駅から徒歩11分
駐車場 なし/大手センターパーキング(185台/有料)などを周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 宮内庁 TEL:03-3213-1111
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

江戸城大手門(皇居東御苑)

1606(慶長11)年に江戸城の縄張りされ、翌年完成した江戸城の玄関。1620(元和6)年の江戸城修復に際し、伊達正宗(だてまさむね)らの力により現在のような桝形形式(ますがた=橋を渡ってから道は鍵型に屈曲する)の城門となった江戸城の正門。

江戸城同心番所(皇居東御苑)

江戸城本丸、二の丸、三の丸跡に整備された庭園が皇居東御苑。大手門、平川門、北桔橋門(きたはねばしもん)から入苑できます。度重なる火災で江戸城内の建物はほとんど焼失してしまいましたが、富士見櫓、同心番所、百人番所は現存。同心番所は門の外から内

江戸城百人番所(皇居東御苑)

江戸城本丸、二の丸、三の丸跡に整備された庭園が皇居東御苑。大手門、平川門、北桔橋門(きたはねばしもん)から入苑できます。度重なる火災で江戸城内の建物はほとんど焼失してしまいましたが、富士見櫓、同心番所、百人番所は現存。百人番所は、本丸と二の

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ