北条氏の本城である小田原城の支城として標高446mの深沢山(城山)に築城された中世の山城。高尾山とは中央本線・中央自動車道が通る谷を隔てて北側の山上に位置する城です。916(延喜16)年、山の頂に八王子権現が祀られたのが八王子という名の由来になっています。最後の大規模な山城として「日本100名城」にも選定されています。
中世最期に築城された巨大な山城
北条氏照は、武田信玄の相模侵攻で、平山城である滝山城の防衛面での弱点を知り、武蔵と相模の境に大規模な山城を築くことを決意します(この時代は、中世的山城の役割が終焉し築城は近世的な平城に移っています)。
頂に八王子社が祀られたため、城は八王子城と名付けられます(これが八王子の地名の由来)。
山の尾根や谷など複雑な地形を利用して築かれた大規模な山城。
山頂に山頂曲輪が、東に続く尾根に石垣と金子曲輪が築かれていました。
山頂から西に続く尾根には石塁と堀切で詰の城を守っていました。
そして南東側の山麓には居館(御主殿)が配され、城山川に沿った地区には城下町(根小屋地区)も形成されていました。
城山川の東南側に連なる尾根には太鼓曲輪が築かれ、さらに南麓の防御に機能した御霊谷(ごれいや)地区を設けるなど何重もの防御態勢をとっていたのです。
八日市・横山・八幡三宿は、城下の商業地区です。
また、浄福寺城(案下城)、小田野城の他、初沢城が搦手(からめて=裏側)の出城で、防御を固めていました。
築城から間もない1590(天正18)年、豊臣秀吉の小田原攻めで、上杉景勝・前田利家・真田昌幸らの精鋭1万5000人に攻められて落城。
城主の北条氏照は、秀吉との徹底抗戦を主張し、小田原城に籠もっていましたが、切腹させられています。
その後徳川家康によって八王子城は廃城となっています。
「日本100名城」にも選定される八王子城は国の史跡。
発掘調査も行なわれ、御主殿跡へ通じる虎口の石垣と冠木門、御主殿へ渡るために城山川に架けられた曳橋(ひきはし)などが復元されています。
御主殿の滝は、落城時に御主殿にいた北条方の婦女子や武将らが滝の上流で自刃し、川の水が三日三晩血に染まったと伝わる滝です。
八王子城 | |
名称 | 八王子城/はちおうじじょう |
所在地 | 東京都八王子市元八王子町3丁目、西寺方町、下恩方町 |
関連HP | 八王子市公式ホームページ |
電車・バスで | JR高尾駅から西東京バスで、霊園前・八王子城跡入口下車、徒歩15分(土・日曜、祝日のみ、八王子城跡行が運行) |
ドライブで | 圏央道八王子西ICから約4km |
駐車場 | 50台/無料 |
問い合わせ | 八王子市文化財課 TEL:042-620-7265 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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