【完全攻略ガイド】八王子城

東京都八王子市、北条氏の本城である小田原城の支城として標高446mの深沢山(城山)に築城された中世の山城が、八王子城。高尾山とは中央本線・中央自動車道が通る谷を隔てて北側の山上に位置する城です。戦国時代最後の大規模な山城として「日本100名城」にも選定されています。

中世最期に築城された巨大な山城

延喜16年(916年)、山の頂に八王子権現(神仏習合時代、祇園精舎の守護神である牛頭天王の眷属)が祀られたのが八王子城、そして現在の橋王子市の名の由来になっています。

北条氏康(ほうじょううじやす)の三男で武蔵滝山城城主の北条氏照(ほうじょううじてる)が元亀2年(1571年)頃から築城を開始し、天正15年(1587年)頃に本拠とした山城です。

北条氏照は、武田信玄の相模侵攻で、平山城である滝山城の防衛面での弱点を知り、武蔵と相模の境に大規模な山城を築くことを決意します(この時代は、中世的山城の役割が終焉し築城は近世的な平城に移っています)。

西に小下沢を隔てて景信山(727.3m)がそびえて北条氏の本拠・相模国に通じ、南に武田氏の甲州へと通じる街道が通るという要衝。
すでに甲相同盟が破綻していたので、武田氏に対する守りという点でも、最高の場所だったのです。

関東平野の西端という立地は、守りやすく攻めづらいという山城としては最高の地勢です。山の尾根や谷など複雑な地形を利用して築かれた大規模な山城で、北条氏の本城である小田原城の支城としての機能を果たしていました。

八王子城
山上(9合目)から関東平野を眺望

築城直後に豊臣秀吉軍の攻撃で落城

八王子城・縄張り図
八王子城・縄張り図

縄張りは東西3km、南北2〜3kmという広範囲に及び、山頂に山頂曲輪が、東に続く尾根に石垣と金子曲輪が築かれ、松木曲輪や小宮曲輪など何段もの曲輪を配置。
山頂から西に続く尾根には石塁と堀切で西側の詰の城を守っていました。

山麓との比高は240mもあるため、南東側の山麓には居館(御主殿)が配され、その東側にあるアシダ曲輪で城主の居館や家臣の住居がある居館地区を防衛していました。
城山川に沿った地区には城下町(根小屋地区)も形成され、戦国時代末期の山城のため、中世から近世への過渡期の城の要素があります。
城下町だった場所が現在の元八王子町で、まさしく八王子のルーツとなるエリアです。

城山川の東南側に連なる尾根には太鼓曲輪が築かれ、さらに南麓の防御に機能した御霊谷(ごれいや)地区を設けるなど、何重もの防御態勢をとっていた点にも注目を。
北条氏の関東進出の拠点としていたことがよくわかります。
八日市・横山・八幡三宿は、城下の商業地区です。

また、浄福寺城(案下城)、小田野城の他、初沢城が搦手(からめて=裏側)の出城で、さらにいっそうの防御を固めていました。

関東屈指の巨大な山城でしたが、築城から間もない天正18年(1590)年、豊臣秀吉の小田原攻めで、上杉景勝・前田利家・真田昌幸らの精鋭1万5000人に攻められてあえなく落城。
城主の北条氏照は、豊臣秀吉との徹底抗戦を主張し、小田原城に籠もっていましたが、切腹させられています。

攻城戦で、豊臣軍は、東正面の大手口(元八王子町)と北側の搦め手(下恩方町)の2方向から進軍。
頑強な抵抗にあい、双方に多数の死者を出し、城内の婦女子は自刃したと伝えられています。

その後、関東に入封した徳川家康によって八王子城は廃城となっています。

八王子城・冠木門
復元された冠木門

事前予約でガイド付きの探勝も可能(無料)

八王子城跡ガイダンス施設
八王子城跡ガイダンス施設

「日本100名城」にも選定される八王子城は国の史跡。
発掘調査も行なわれ、御主殿跡へ通じる虎口の石垣と冠木門、御主殿へ渡るために城山川に架けられた曳橋(ひきはし)などが復元されています。

御主殿の滝は、落城時に御主殿にいた北条方の婦女子や武将らが滝の上流で自刃し、川の水が三日三晩血に染まったと伝わる滝です。

城山の下を南北に圏央道が八王子城跡トンネルで通過。
日本遺産「霊気満山 高尾山 ~人々の祈りが紡ぐ桑都物語~」の構成資産にもなっています。

登城にあたっては、バス停、駐車場近くにある「八王子城跡ガイダンス施設」で八王子城のジオラマ模型で地形を確認、情報を入手するのがおすすめです。

金子丸を経由する新道ルートを利用すれば、本丸まで徒歩40分ほど。
西の詰城まではさらに30分ほど必要です。
また山麓だけ探勝する場合は、大手道経由、御主殿会所往復(御主殿地区周回コース)で20分ほど。

八王子市文化財課に事前に予約すれば、ガイド付きでの探勝も可能(ガイド料は無料)。

八王子神社
山頂の本丸跡には八王子神社が鎮座
【完全攻略ガイド】八王子城
名称八王子城/はちおうじじょう
所在地東京都八王子市元八王子町3丁目、西寺方町、下恩方町
関連HP八王子市公式ホームページ
電車・バスでJR高尾駅北口から西東京バス高尾の森わくわくビレッジ、宝生寺団地、恩方ターミナル、大久保、大久保・陣馬高原下、グリーンタウン高尾、美山町行きで、霊園前・八王子城跡入口下車、徒歩15分(土・日曜、祝日のみ、八王子城跡行が運行)
ドライブで圏央道八王子西ICから約4km
駐車場50台/無料
問い合わせ八王子市文化財課 TEL:042-620-7265
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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