日本初飛行の地(日本航空発始の碑)

日本におけるエンジンを使った初の動力飛行は、陸軍代々木練兵場(現・代々木公園)において明治43年12月11日〜20日に実施され、日野熊蔵大尉のグラーデ機および徳川好敏大尉のファルマン機が初飛行に成功しています。代々木公園南口近く、梅の園の一画に日本航空発始之地記念碑が立ち、日本初飛行の地だったことを表しています。

初飛行の地は、当時の代々木練兵場で現・代々木公園

日本における初の動力飛行は、明治42年7月31日に陸海軍の合同で発足した臨時軍用気球研究会が計画。
専用の飛行場がなかったため、まだ周囲に田園風景が広がる陸軍省の代々木練兵場を利用したもの。

陸軍代々木練兵場は、兵士の訓練のため、初飛行の前年、明治42年7月に衛戍監獄(えいじゅかんごく=陸軍刑務所)とともに開設されたばかりの土地でした。
ただし、飛行範囲は、事前に提出された地図からみると東京周遊というレベルではなく南北1km、東西1.2kmという狭い範囲だったことがわかります。
当時の陸軍代々木練兵場は、現在のNHK放送センターから渋谷区役所までをすっぽりと覆う広いエリアなので、飛行には支障がないと判断されたもの。

記録的には徳川好敏大尉が明治43年12月19日、初飛行

徳川好敏大尉
日野熊蔵大尉

実際の初飛行も、12月14日の日野熊蔵大尉の場合は、正確な数字が記録されたものは「初飛行」を報じた『萬朝報』の記事の60mだけで、これすら目測のため、単なるジャンプに過ぎなかったと考える人もいるほどです。
12月19日は、記録会ということになり、先に飛んだ徳川大尉(機体を自ら購入)が初飛行ということになったのです。
記録的には、12月19日の徳川の飛行をもって「日本初飛行の日」とされています。
これには、御三卿清水徳川家の家柄の徳川大尉優先という気持ちがあったのかは定かでありません(日野大尉は、相良藩士の家柄で、日野式自動拳銃を発明するなど、当時は有名な発明家でもありました)。

使用された機体は、ドイツ製のハンス・グラーデ1909年型(Grade II Libelle/グラーデ単葉機=日野大尉が操縦)、フランス製のアンリ・ファルマン1910年型(Farman III/アンリ・ファルマン複葉機=徳川大尉が操縦)。
12月14日には日野大尉のグラーデ機が飛行に成功し、12月19日に徳川大尉のファルマン機も飛行に成功しており、2人の胸像が日本航空発始の碑の横に仲良く並んで立っています。

ちなみに、その後、墜落事故などもありましたが、大正2年の青島攻略戦で、フランスから購入したモーリス・ファルマン1912年型改(MF.7)を初めて陸軍機として実戦投入していますが、ドイツのエトリッヒ タウベと遭遇した際に、性能が違いすぎて空中戦にもならなかったと伝わっています。

徳川好敏大尉とアンリ・ファルマン複葉機(同型の機体)

日野熊蔵大尉とグラーデ単葉機(同型の機体)

日本初飛行の地(日本航空発始の碑)
名称 日本初飛行の地(日本航空発始の碑)/にほんはつひこうのち(にほんこうくうはっしのひ)
所在地 東京都渋谷区代々木神園町
関連HP 東京都公園協会公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ千代田線代々木公園駅から徒歩5分
ドライブで 首都高速中央環状線初台南出口から約800m、富ヶ谷出口から約1km
駐車場 代々木公園有料駐車場(65台/有料)
問い合わせ 代々木公園サービスセンター TEL:03-3469-6081
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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