横十間川

横十間川

江戸時代初期に開削され、東京都墨田区、江東区を南北に流れる運河が横十間川。北端で東西に流れ、東京スカイツリーのビュースポットである北十間川に合流し、南端で大横川にぶつかっています。古代の隅田分流の流路に沿って造られた運河であるため、武蔵国と下総国との国境だった時代もあるのです。

隅田川以東の開発を目的に開削された運河

横十間川

明暦3年1月18日〜1月20日(1657年3月2日〜3月4日)の明暦の大火で江戸の市街が焼けた後、隅田川に両国橋が架けられた万治2年(1659年)、書院番(徳川将軍の馬廻衆=軍事部門の要職)の徳山重政(墨田区石原の徳之山稲荷神社は徳山家の邸内にあった神社)、山崎重政が、「本所宅地并に溝渠の奉行」に任命されて開削された運河。

江戸城に対して横に流れ、川幅が十間(18m)あったことが名の由来です。

江戸の住宅事情の悪化(焼け出された武家屋敷の移転先に本所が選ばれています)、そして農地開拓を目的に、隅田川以東の開発が進められ、北十間川、横十間川などが開削されていったのです。

明暦の大火後に開発された本所界隈は、防災を強く意識した都市計画で、道路網や運河が縦横に設けられ、碁盤目状の区画が誕生、横十間川の開削を担った奉行2人は、本所奉行の始まりにもなっています。

江東区(扇橋3-22先~東陽6-1先)には延長1.9km、面積5.1haの横十間川親水公園が整備され、尾高ボート乗場~岩井橋の間ではボート遊び(手漕ぎボート、足漕ぎボート)、江東区スポーツ会館の西側(横十間川親水公園水上アスレチック)には水上アスレチックを楽しむことができます。

歌川広重の『名所江戸百景』の「柳しま」には横十間川と北十間川の合流地点が描かれ、幕末にはまだのどかな田園地帯だったことがわかります。

横十間川
横十間川
名称 横十間川/よこじゅっけんがわ
所在地 東京都墨田区・江東区
関連HP 江東区公式ホームページ
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