相生橋

相生橋

東京都中央区・佃島(つくだじま/西岸)と江東区・越中島(東岸)の間を流れる隅田川(旧称・大川)の派川(春海運河)に架る橋が、相生橋(あいおいばし)。橋の中ほどには中の島があり江東区立中の島公園が整備されています。現在の橋は、平成10年12月19日に開通した3代目。

現在の橋は平成10年完成の3代目

橋の東岸の中央区佃2丁目南部・佃3丁目は、明治29年に埋め立てで誕生した新佃島。
初代の橋は、川の中洲の中の島を挟んで架けられた相生大橋(橋長147.0m)、相生小橋(橋長52.7m)で、明治36年に完成。

同時に水道管が通され、工場地帯として発展する新佃島方面に上水道が供給されています。

初代の相生橋が開通するまで佃島、月島には築地や深川へ渡る橋がなく、開通後も、都心方面を結ぶ交通手段として、月島の渡し、佃の渡しは重要な交通手段になっていました(月島の渡しは明治44年から終夜運航、昭和15年の勝鬨橋完成で廃止)。
大正8年8月に東京市電のために拡幅され、大正12年7月には月島を結んで東京市電月島線が開業しています。

しかし市電開通直後の大正12年9月の関東大震災で、木橋だった相生大橋、相生小橋は焼失。
震災からの復興事業で、大正15年に2代目の相生橋が架橋されたのです(関東大震災後、帝都復興で内務省復興局が担当した6橋が、隅田川六大橋=相生橋、永代橋、清洲橋、蔵前橋、駒形橋、言問橋です)。
昭和2年には、中の島に隅田川唯一の水上公園として「中の島公園」が開園し、大いに賑わいました。
昭和55年、中の島が地続きとなり、交通量の増大に伴って老朽化が深刻化したため、平成10年に新橋に架け替えられています。
橋長149.1m、幅員22.0mのトラス桁橋で、清澄通り・都道463号(上野月島線)の道路橋。

ちなみに隅田川に震災復興橋梁として架けられた橋は、下流から相生橋、永代橋、清洲橋、両国橋、蔵前橋、厩橋(うまやばし)、駒形橋、吾妻橋(あづまばし)、言問橋(ことといばし)の9橋で、被害を受けなかった新大橋を含めて「隅田川十大橋」と称されています。

相生橋
相生橋から眺める屋形船の航跡
相生橋
震災復興で架橋された2代目の相生橋
相生橋
名称 相生橋/あいおいばし
所在地 東京都江東区越中島〜中央区佃
電車・バスで JR越中島駅から徒歩7分、都営地下鉄・東京メトロ月島駅から徒歩7分
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
隅田川六大橋

隅田川六大橋とは!?

大正12年9月1日に発生した関東大震災後の帝都復興事業で帝都復興院(大正13年2月25日以降は内務省復興局)が隅田川に建設した相生橋、永代橋、清洲橋、蔵前橋、駒形橋、言問橋の6橋は景観にも配慮され、デザイン的にも優れた橋で、隅田川六大橋と称

千住大橋

千住大橋

東京都足立区(北岸)と荒川区(南岸)の間を流れる隅田川に架る国道4号(日光街道)の橋が千住大橋。文禄3年(1594年)、徳川家康の関東転封に伴い、隅田川に最初に架けられた橋がこの千住大橋です。現在の旧橋(国道4号北行)は関東大震災からの帝都

白鬚橋

白鬚橋

東京都荒川区、台東区・墨田区の間を流れる隅田川に架る歴史ある橋が白鬚橋(しらひげばし)。明治通りと通称される東京都道306号(王子千住夢の島線)の橋で、橋名は東岸の白鬚大明神(現・白鬚神社/墨田区東向島)に由来します。つまり、「ひげ」は、髭

中央大橋

中央大橋は、八重洲通り(東京都道463号上野月島線中央大橋支線)が通る隅田川に架かる橋で、その名の通り、中央区の新川2丁目と佃1丁目を結んでいます。隅田川では千住汐入大橋(平成18年架橋)に次いで新しい橋で、平成5年8月26日、レインボーブ

新大橋

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清洲橋

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勝鬨橋

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永代橋

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言問橋

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蔵前橋

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厩橋

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