武蔵府中熊野神社古墳

武蔵府中熊野神社古墳

東京都府中市西府町、熊野神社境内にある古墳が、武蔵府中熊野神社古墳。古墳時代のものでは国内に6基、東京都では天文台構内古墳(三鷹市)と2基しか確認されていないという珍しい上円下方墳(じょうえんかほうふん)で、下2段が方形、上段が円形という3段の造り。国の史跡。

石が葺かれている上円下方墳としては日本最大

平成6年に地中レーダー探査が実施され、初めて地中の構造物が確認され、平成15年に発掘調査で古墳であることが判明、平成17年に国の史跡になったという、市街地にありながら近年に新しく発見された古墳。

1段目が一辺32mの方形、2段目が24mの方形、3段目が直径16mの円形という3段築成。
調査で確認されたものとしては国内最大・最古の上円下方墳とされています。
表面は、2段目と3段目の全面に石が葺かれ、1段目の外周に切石が並べられてたことが判明。

内部に3つの石室がありますが、盗掘被害にあっていて遺物はほとんど発掘されていません。
玄室から七曜文(しちようもん)の銀象嵌(ぎんぞうがん)が施された鞘尻金具(さやじりかなぐ)、環金具(かんかなぐ)、刀子(とうす)、ガラス玉が出土し、「府中市郷土の森博物館」に展示されています。

7世紀中頃〜後半の築造で、大きな石室を有することから当時の武蔵の国一帯の有力な首長、武蔵国府設置直前に大きな力を持っていた人物だと推測できます。
律令制度の始まりとともに古墳の東1kmほどの府中の森公園に東山道武蔵路(とうさんどうむさしみち)が通じており、武蔵国府設置前後の政治状況を今に伝える貴重な古墳となっています。

熊野神社(江戸時代には神仏習合の熊野三所権現)は、安永6年(1777年)に現社地に遷座しているので、古墳とは直接的な関係はありません。
江戸時代以降は、熊野三所権現(熊野神社)の奥宮とされていたので、石室内から寛永通宝、文久永宝なども出土しています。

隣接して平成23年に府中市の「国史跡武蔵府中熊野神社古墳展示館」が開館し、古墳も葺石(ふきいし)に覆われた築造当時の姿に復元されています。

武蔵府中熊野神社古墳
名称 武蔵府中熊野神社古墳/むさしふちゅうくまのじんじゃこふん
所在地 東京都府中市西府町2-9-5
関連HP 府中市公式ホームページ
電車・バスで JR西府駅から徒歩8分
問い合わせ 文化スポーツ部ふるさと文化財課 TEL:042-335-4473/FAX:042-360-4401
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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