増上寺・徳川将軍家墓所

増上寺・徳川将軍家墓所

東京都港区芝公園4丁目、増上寺安国殿背後にある徳川将軍家墓所。墓所の門は、6代将軍・徳川家宣の霊廟(文昭院霊廟)の中門だったものを移築したものです。2代・徳川秀忠、6代・徳川家宣、7代・徳川家継、9代・徳川家重、12代・徳川家慶、14代・徳川家茂の6人の将軍などが眠っています。

6人の徳川将軍が眠る墓所は、特別拝観が可能

増上寺・徳川将軍家墓所に眠るのは、2代・徳川秀忠、6代・徳川家宣、7代・徳川家継、9代・徳川家重、12代・徳川家慶、14代・徳川家茂の6人の将軍の他、第5代将軍・徳川綱吉の兄・徳川綱重、女性では将軍正室として2代秀忠夫人・崇源院、6代家宣夫人・天英院、11代家斉夫人・広大院、13代家定夫人・天親院、14代家茂夫人・静寛院の5人、将軍の側室としては3代家光の桂昌院、6代家宣の月光院など5人、その他、将軍の子女を含む計38人です。

もともと2代・徳川秀忠は増上寺境内の台徳院霊廟、7代・徳川家継は有章院霊廟に眠っていましたが、東京大空襲を受けて焼失、現在は東京プリンスホテルの敷地などになっています(宝塔などを徳川将軍家墓所に移設)。

東京の徳川将軍家墓所は、上野・寛永寺にもあり、4代・徳川家綱、5代・徳川綱吉、8代・徳川吉宗、10代・徳川家治、11代・徳川家斉、13代・徳川家定は寛永寺に、最後の将軍・徳川慶喜は、谷中寛永寺墓地に神道形式で埋葬されています。

また、徳川家康は久能山東照宮と日光東照宮に霊廟があり、3代・徳川家光は日光山輪王寺・大猷院霊廟に眠っています(寛永寺の大猷院霊廟は火災で焼失し、家綱の巌有院廟に合祀)。

8代・徳川吉宗の代で豪華な霊廟を新たに造ることが禁じられ、遺体を埋葬する宝塔だけが造られるようになっています(先代らの霊廟の中で合祀)。
江戸城の鬼門に当たる丑寅(北東)の方角には上野の寛永寺、裏鬼門に当たる未申(南西)には芝の増上寺が配され、実は、将軍たちは死しても江戸城を見守っていたのです。

徳川将軍家墓所の拝観は、徳川将軍家墓所特別拝観料が必要です(徳川霊廟前チケット札所で発券)。
土・日曜、祝日には、港区観光ボランティアによるガイドを実施。
火曜日は定休日です(祝日の場合は拝観可能)。

増上寺・徳川将軍家墓所
名称 増上寺・徳川将軍家墓所/ぞうじょうじ・とくがわしょうぐんけぼしょ
所在地 東京都港区芝公園4-7-35
関連HP 増上寺公式ホームページ
電車・バスで 都営地下鉄三田線御成門駅から徒歩3分
ドライブで 首都高速芝公園ランプから約500m
駐車場 10台/無料、または、東京タワーパーキングセンター・地下(200台/有料)など周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 増上寺 TEL:03-3432-1431
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

増上寺

徳川将軍家の菩提寺として有名。寺としての歴史は古く、その創建は1393(明徳4)年まで遡ります。徳川家康の菩提寺として芝に移されてからは、東国随一の浄土宗寺院として繁栄を続けてきましたた。東京大空襲の戦火でほとんどの建物を焼失してしまいまし

増上寺・徳川将軍家墓所鋳抜門

増上寺・徳川将軍家墓所鋳抜門

東京都港区芝公園4丁目、増上寺安国殿背後にある徳川将軍家墓所の門が、鋳抜門(いぬきもん)。実は増上寺・徳川将軍家墓所鋳抜門は、かつては6代将軍・徳川家宣の霊廟(文昭院霊廟)の中門だったものを移築。霊屋・宝塔前に置かれた鋳抜門は、まさに徳川将

旧台徳院霊廟惣門

旧台徳院霊廟惣門

東京都港区芝公園4丁目、芝公園の一画に現存するのが、旧台徳院霊廟惣門(きゅうたいとくいんれいびょうそうもん)。台徳院とは2代将軍・徳川秀忠のこと。没後の寛永9年(1632年)にその御霊屋(おたまや)として建築された霊廟ですが、惣門のみが現存

有章院霊廟二天門

有章院霊廟二天門

東京都港区芝公園3丁目、東京プリンスホテルの駐車場の東、日比谷通りに面して建っているのが、有章院霊廟二天門(ゆうしょういんれいびょうにてんもん)。7代将軍・徳川家継の霊廟の門で、江戸時代には現在の東京プリンスホテルの敷地一帯には徳川家継の霊

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ