立教学院発祥の地碑

立教学院発祥の地碑

東京都中央区明石町、聖路加国際病院の敷地内にあるのが、立教学院発祥の地碑。池袋のイメージの強い立教大学は、明治7年、築地の外国人居留地に開かれた聖書と英学を教える私塾「立教学校」がルーツ。立教大学など立教学院の創立125周年を記念して平成12年に建立された記念碑です。

立教大学のルーツは築地居留地にあり!

現在、池袋と新座にキャンパスを持つ立教大学は、米国聖公会の宣教師でコロンビア大学神学博士、チャニング・M・ウィリアムズ(Channing Moore Williams)主教が明治7年、築地居留地に開いた立教学校がルーツ。
立教大学の建学の精神は、「Pro Deo et Patria」(「神と国のために」)ですが、わずか数人の生徒で始まった小さな学校が、立教大学へと発展したのです。

チャニング・M・ウィリアムズ、開国直後の安政6年(1859年)、長崎に来航し、高杉晋作に欧米事情や制度、大隈重信(第8・17代内閣総理大臣)、副島種臣(第4代内務大臣、第3代外務卿)らに英学を教え、さらに後に「日本近代郵便の父」と称される前島密(まえじまひそか)には郵便制度も伝授しています。

チャニング・M・ウィリアムズ主教が私財を投じて購入した築地居留地37番に、立教学校の校舎を建て、後に築地居留地57番~60番に移転していますが、この築地居留地57番~60番こそが、現在記念碑の立つ聖路加国際病院の敷地です。

明治13年、立教学校は宣教師で建築家でもあったジェームズ・ガーディナー(James McDonald Gardiner)を校長に迎え、明治16年、校舎を新たに立教大学校を開校。
アメリカ式のカレッジで、直接的な立教大学のルーツともいえます。

明治40年、文科、商科および予科をおいた立教大学に。
大正7年9月11日には池袋に移転し、翌大正8年5月31日には、本館、礼拝堂、図書館、食堂、寄宿舎(現在の2号館、3号館)が完成し、池袋キャンパスの歩みも始まっています(新座キャンパス開校は平成2年)。

東京六大学野球リーグは大正3年、箱根駅伝のルーツ校でもある早慶明の3大学によって初めてリーグ戦が行なわれ、大正6年、法政大学、大正10年には立教大学、そして大正14年秋のリーグから東京帝国大学(現・東京大学)が加盟して誕生しています。

ちなみに立教大学発祥ではなく、立教学院発祥なのは、立教大学とともに小学校、中学校、高校を含め学校法人立教学院の経営だから。

立教大学に医学部が!? 立教と聖路加との密なる関係とは!?

聖路加も同じ米国聖公会の宣教医師、ルドルフ・B・トイスラー博士が明治34年に創立と、当時、立教と聖路加の理事会メンバーの約半数が兼務するという深い関係にあり、戦時下には、立教と聖路加を合併して、立教大学に医学部を設置する計画が進められましたが、文部省は受諾しましたが、厚生省の反対にあって、東京六大学で東大、慶應義塾に次ぐ三番目の医学部は実現しませんでした。

戦後、再び立教に医学部をという動きがありましたが、聖路加病院がGHQの専有だったため、断念したのです。

立教学院発祥の地碑
名称 立教学院発祥の地碑/りっきょうがくいんはっしょうのちひ
所在地 東京都中央区明石町10
電車・バスで 東京メトロ築地駅から徒歩5分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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