吉田茂像

吉田茂像

東京都千代田区北の丸公園、清水門から北の丸公園に入った先に立つのが、吉田茂像(よしだしげるぞう)。戦後の日本を復興へと導いた内閣総理大臣・吉田茂を顕彰するため、吉田茂生誕100年を記念して昭和53年に寄付が集められ、昭和56年9月22日に除幕。制作は彫刻家・舟越保武(ふなこしやすたけ)です。

田沢湖の『たつこ像』で知られる舟越保武の作品

吉田茂像

葉巻をこよなく愛したことから「和製チャーチル」とも称された吉田茂は、板垣退助の腹心だった竹内綱(たけうちつな)の五男として生誕。
終戦後の昭和20年、東久邇宮内閣、幣原内閣の外務大臣に、昭和21年5月に内閣総理大臣になっています。
戦後初の公選選挙となる第23回総選挙では、高知県全県区から出馬、昭和23年に第2次吉田内閣、昭和24年に第3次吉田内閣を組閣、昭和26年9月8日、サンフランシスコ平和条約を、さらに全面講和論を押しのけて安全保障条約を締結しています(当時アメリカでは赤狩り旋風が吹き荒れていました)。

昭和27年に第4次吉田内閣、昭和28年に第5次吉田内閣を組閣しますが、造船疑獄(政府出資の計画造船の割り当てをめぐって起こった贈収賄事件)では、佐藤栄作(幹事長)の収賄罪の逮捕を延期させるなどの指揮権発動もあり、その剛腕ぶりが多くの批判を集めています(ただし、吉田茂自身は、自分を退陣させ、政権奪取を狙った政治家が仕掛けたものと回想録に記しています)。
さらに「軍隊という定義にもよりますが、これにいわゆる戦力がないことは明らかであります」と答弁して保安隊を自衛隊に、保安庁を防衛庁に改組するなどもあり、野党による不信任案の可決が確実となったため、昭和29年12月7日、内閣総辞職、自由党総裁を辞任しています。

戦後日本を復興に導くのと同時に、日米安保の傘の下に入り、反共の防波堤としての立場を築くなど、戦後の混乱期に、辣腕を振るい保守長期政権への基盤を築いた政治家です。

昭和42年10月20日に没、享年90(満89歳)。
10月31日には戦後初の国葬が日本武道館で行なわれています。

吉田茂の銅像は、国葬の行なわれた北の丸公園のほか、故郷である高知県の高知龍馬空港、邸宅のあった大磯城山公園に立っています(高知の常宿だった城西館のロビー、外務省外交史料館の別館ロビーにもあり、合計5体です)。

銅像・FRP像建立数ランキングの1位は坂本龍馬、2位は松尾芭蕉で30体以上、首相経験者では伊藤博文がトップで10体ほどです。

彫刻家・舟越保武は、田沢湖の『たつこ像』」で知られますが、都内には『吉田茂像』のほか、東京都庁都民広場の『はばたき』、有栖川宮記念公園(港区)の『笛吹き少年』、大塚公園(文京区)『EVE』が設置されています。

『吉田茂像』を制作するにあたり、乗馬姿、和服姿、洋服姿のいずれを作るかが真剣に話し合われ、制作者の彫刻家・舟越保武はフロックコートを着た洋服姿を選んでいます。
これは、議会に臨む姿か、宮中参内(昭和41年4月の時)の際の姿がいいだろうという考えから。
対して、高知龍馬空港と、大磯城山公園の吉田茂像は和服姿はくつろぐ和服姿です。

吉田茂像
吉田茂像
名称 吉田茂像/よしだしげるぞう
所在地 東京都千代田区北の丸公園1-1
関連HP 国民公園協会公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ竹橋駅、都営地下鉄・東京メトロ九段下駅かから徒歩10分
駐車場 北の丸公園第1駐車場(145台/有料)、第2駐車場(107台/有料)、第3駐車場・武道館前(260台/有料)
問い合わせ 北の丸公園管理事務所 TEL:03-3211-7878
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
高知龍馬空港・吉田茂像

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