羽田富士

羽田富士

東京都大田区本羽田3丁目、羽田神社境内にあるのが、羽田富士。明治元年、羽田の富士講・木花講(このはなこう)が築いた富士塚で、登拝用の登山道が設けられ、山頂には浅間神社が祀られています。例年7月1日には、『山開き』の神事が斎行され、登拝の安全を祈願しています。

羽田にある富士山は登拝も可能

羽田神社は江戸時代には隣接する自性院を別当(神社を管理する寺)に、牛頭天王(祇園精舎の守護神で疱瘡などの疫病神を払うとされていました)を祀っていましたが、明治初年の廃仏毀釈、神仏分離で八雲神社となっています。
境内に富士塚が築かれたのは、神仏分離の嵐の最中で、明治4年には御師と呼ばれる先達(ガイド)に導かれて山頂を目指す御師制度も廃止され、明治8年にそれまでの仏教的な名称も廃止されています。
富士講も神仏分離で、大日如来の仏教的な色彩から浅間神社へと変わるという一大転換期でした。

羽田空港(東京国際空港)周辺からは現在も富士山を眺望しますが、明治初年頃にはよく見えたのだと推測でき、羽田村にも木花講と木花元講が組織されていました。
神仏分離で木花講は扶桑教になり、木花元講は神道修成派の傘下に入って存続したのです。
明治29年には旧木花講の福石兼次郞が穴守稲荷神社に富士塚を築いています(明治37年に木花元講が修築)。

明治時代には富士塚の前で旅の安全を祈願し、これまでどおり、富士山までの全行程を徒歩で登拝していましたが、大正時代には、蒲田駅から鉄道を利用し、新宿駅を経て大月で1泊、御師(おし)佐藤家(柏谷)を起点に1泊の登拝を行なうなど、近代登山に近づいています。

山中には明治22年、明治23年の木花講石碑、狛犬、大黒像などが現存。
近年、崩落の危険があるため登拝が禁じられていましたが、令和元年〜令和2年に完全修築工事が行なわれ、往時に富士山から運ばれたという溶岩なども積み直され、再び、登拝が可能になっています。

羽田青年連合会が清掃などを行なっているので、マナーを守って参拝を。

羽田富士
名称 羽田富士/はねだふじ
所在地 東京都大田区本羽田3-9-12
関連HP 羽田神社公式ホームページ
電車・バスで 京浜急行電鉄大鳥居駅から徒歩10分
ドライブで 首都高速羽田ICから約1km
駐車場 12台/無料
問い合わせ 羽田神社 TEL:03-3741-0023/FAX:03-3744-0225
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
羽田神社

羽田神社

東京都大田区本羽田3丁目、東京国際空港(羽田空港)の西、多摩川に架かる大師橋の北詰近くにあるのが、羽田神社(はねだじんじゃ)。戦後、GHQによる東京飛行場(現在の羽田空港)の拡張で立ち退きを余儀なくされ、現社地に潜在しています。航空安全など

 

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