本妙寺・千葉周作の墓

本妙寺・千葉周作の墓

東京都豊島区巣鴨5丁目、法華宗陣門流の東京別院、本妙寺にあるのが、千葉周作の墓(ちばしゅうさくのはか)。本妙寺には遠山景元(名奉行として名高い遠山金四郎)の墓もありますが、江戸時代後期の剣術家として知られる千葉周作もここに眠っています。

江戸三大道場のひとつ、千葉道場(玄武館)を創建

気仙沼出身の千葉周作は栗原郡荒谷村(現・大崎市)にある斗瑩稲荷神社(とけいいなりじんじゃ)に居を構え、千葉吉之丞から北辰夢想流を学んだ後、松戸(千葉県松戸市)へ。
松戸では、小野派一刀流中西派の浅利義信(あさりよしのぶ)に入門、養女のかつと結婚して道場を継いでいますが、浅利義信と決別し、北辰一刀流(ほくしんいっとうりゅう)を創始しています。
千葉家家伝の北辰流、北辰夢想流と、一刀流を統合したもので、文政5年(1822年)、日本橋品川町に道場を構え、文政8年(1825年)、神田於玉ヶ池に移転しています(「千葉周作玄武館跡の碑」が千代田区神田東松下町、都営新宿線・岩本町駅近くに立っています。

水戸藩第9代藩主・徳川斎昭も武芸を奨励し、天保6年(1835年)、千葉周作は水戸でその剣技を披露し、それがきっかけで水戸藩に仕えることになり、天保12年(1841年)に開設された弘道館の剣術師範にもなっています。
幕末には千葉道場(玄武館)の門弟は6000人を数え、「力の斎藤」(神道無念流・練兵館)、「位の桃井」(鏡新明智流・士学館)と並び、「技の千葉」と称され、江戸三大道場のひとつに数えられるまでに発展しています(勤王の志士・坂本龍馬も北辰一刀流)。

安政2年12月10日(1856年1月17日)没、戒名は、高明院勇誉智底敬寅居士。

本妙寺・千葉周作の墓
名称 本妙寺・千葉周作の墓/ほんみょうじ・ちばしゅうさくのはか
所在地 東京都豊島区巣鴨5-35−6
関連HP 本妙寺公式ホームページ
電車・バスで JR・都営地下鉄巣鴨駅から徒歩15分、さくらトラム新庚申塚駅から徒歩5分
駐車場 境内駐車場(12台/無料)、彼岸、施餓鬼期間中は利用不可
問い合わせ 本妙寺 TEL:03-3917-1558
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
本妙寺・遠山景元の墓

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本妙寺・明暦大火供養塔

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